『黄金の心臓を探して』(夢魔編)

<五.夢の罠を打ち砕け!>

 かさ……かさ……
 乾いた音をたて、小さな蟲が土の上を這う。
 それは、池でゼルガディスに倒されたモンスターの幼虫だった。親蟲が倒され
る寸前、立ちすくんでいたアメリアの髪に飛ばした卵が、かえったところだった。
 この幼虫は孵化すると身体に溜まったガスを吐くが、それが周囲の動物を眠ら
せる効果がある。眠った動物の耳から体内に入って肺にたどり着き、血を吸って
成長し、やがてまた耳から出て行く、という生態を持っているのだ。
 今、その幼虫は、倒れたゼルガディスに向かって進んでいた。

       *      *      *      *

 アメリアは暗闇の中にいた。
(ここはどこ?確か、ゼルガディスさんといっしょに、狩猟小屋にいたのに?)
 かまどの火を探してあたりを見回すと、闇の中に小さな人影が浮かぶ。
「父さん?」
 思わず声を上げたのは、その姿が人形のような、身体と頭のバランスがまった
く狂った形だったからだ。頭が身体と同じ位の大きさである。
 恐ろしいというより、ほほえましくて、クスリと笑った。
「父さんのそばにいるときが、一番安心できる、一番落ち着く、一番自由でいら
れる、一番『わたし』でいられる……はずだったのに……」
 父親の映像は、まるでアメリアのつぶやきが聞こえたように、少し悲しげな表
情を見せて、すうっ、と消えた。
 今度はゼルガディスが現れる。先ほどの父親と同じで頭が身体と同じくらいに
大きい。身体はこちらを向いているが、顔はうつむいて何かぶつぶつ言っている。
「ゼルガディスさんは、暗いし、勝手だし、自分のことしか考えてないし……」
 またもや、ゼルガディスの映像がアメリアのつぶやきに反応する。消えるので
はなく、顔を上げて眉をひそめている。
「おまけにちっとも私のことを見てくれないし……」
 頭でっかちのゼルガディスは、ぷい、と背中を見せる。
「それなのに、どうして私はあんな人を好きになっちゃたんだろう……」
 ゼルガディスの頭のてっぺんで、金属の髪が数本、逆立った。
(あれ? 私ったら、何を言ってるんだろ?)
「お〜い……お〜い」
「え?誰?」
 突然聞こえて来た呼び声に、アメリアが振り返ると十歳くらいの子供が手を振
っている。その子が近くに駆け寄って来るのを見て、アメリアは心底驚いた。
 どうみても自分にうりふたつ……ただ、男の子の服を着ている。
「ねえ、あなた、アメリア姫でしょう?」
「そうよ、あなたは?」
「僕、まだ名前がないんだ」
「え?名前が無い?」
「うん、だって僕、まだ生まれていないんだもの」
「……そ、そうなの?それで、わたしに何か用かしら?」
「別に用ってことじゃないけど……ねえ、あなた『姫』っていうからには女なん
でしょう?」
「……え、ええ。そうよ。私は女よ」
 答えながら、父親の「アメリアが男だったら」という言葉を思い出し、アメリ
アの心が痛んだ。
「そう……いいなぁ。僕はこの身体が嫌いなんだ。女になりたい!」
「どうして?わたしはうらやましいよ」
 もし男だったら、父親にあんなことは言われなかっただろう。
「じゃあ、あなたの身体を僕にちょうだい、僕の身体をあなたにあげるよ、ね?」
「ええっ?」
 男の子はアメリアの腕をつかむ。ひんやりとした感触に、アメリアの全身は総
毛立つ。
「ねえ、いいじゃないか」
 その声に聞き覚えがあった。──冥王(ヘル・マスター)フィブリゾ!
「痛い!いや!」
「アメリア!!!」
 背中からゼルガディスの声がかかり、また彼が助けに来てくれた、と安堵しな
がら振り返ると。なんと、そのゼルガディスは泥の海に胸まで飲まれてもがいて
いる。彼の方がアメリアに助けを求めているのだった。
「ゼルガディスさん!?」
 手を放して、と、後ろに向かって怒鳴ろうとすると、彼女の腕をつかんでいた
男の子の下半身が、赤黒い蜘蛛の糸を束ねてより合せた粘っこい塊と化し、その
塊が地面についたところから泥の海が広がっている。気がつけばアメリアも腰の
あたりまで泥に埋まっていた。
 彼女の視界の端に、喉まで泥にもぐったゼルガディスの姿が映った。

       *      *      *      *

「アメリア!危ないぞ!」
 叫んだ自分の声で気がつくと、あたりは墨を流したような闇。
「これは……あの蟲の仕業か?」
 ゼルガディスは、闇の中のどこかにアメリアがいるはずだ、と手探りで地面を
探すが、彼女はどこにもいない。
 不思議に思いながら立ち上がると、闇の向こうに赤い影が姿を現わした。
「まさか……!こんなバカな!」
 思わず叫ぶ。
 そこには滅んだはずの赤法師レゾが立っていた。
 赤法師はゼルガディスの方を向いていない。見えない目で、何か別のものを凝
視している様子に、ゼルガディス自身もそちらの注目した。
 闇の向こうに、絵物語のような光景が映し出されている。街道で一人の男が腰
を抜かしていた。その男の視線の先には、白いマントを羽織り、白いフードを被
った人物が背を向けている。
「ば、化け物だあ〜!」
 腰を抜かしていた男が、よろめきながら逃げ去って行く。白い人物が一人、取
り残されて……
「!!!」
 ゼルガディスは信じられなかった。
 街道の光景から抜け出した白い人物が、こちらへ駆け寄って来る。しかも、そ
の相手はゼルガディスの横を駆け抜けると、赤法師のもとにたどり着き、すがり
ついたのだ。レゾも白い人物を迎え入れ、膝を折った彼を優しげに支える。
「な……なんだ?」
 ゼルガディスの声が届いたのか、レゾがこちらを向いた。
「よく分かったでしょう、ゼルガディス?世間の者があなたを見てどう反応する
のか。あなたは普通の人間と一緒には暮らせない。あなたは私のもとでしか生き
ることはできないのです」
「…………!!!」
 一瞬、ゼルガディスは息を飲む。まさか本当にレゾがよみがえったのか?いや、
そんなはずはない。これはきっとあの蟲の仕業だ!
「何を言っている!確かに俺は普通の人間と一緒には暮らせないが、あんたにこ
き使われるのは願い下げだ!あんたに俺を引き止める権利は無い!」
「私のもとに留まることは、あなた自身の心が選んだことです」
「はん!力を与える代わりに『賢者の石』を探す約束は、もう終わったろう!」
「その約束のことではありません。今のあなたの心の問題です」
「今の……俺の心、だと?」
「先ほどの光景を見たでしょう?せっかく助けた男に化け物呼ばわりされたあな
たは、心の中で私を求めた。ありのままのあなたを受け入れるのは私だけだ。だ
から、私にすがりつき慰められることを、あの瞬間、あなたは望んだのです」
「でたらめを言うな!」
「でたらめではありません。ほら、その証拠に……」
 赤法師は、目の前でひざまずいている白い人物を立ち上がらせる。目深に被っ
ているフードに手をかけて引き下ろし、肩を抱いてむき出しにされた顔をゼルガ
ディスに向き合わせる。
 現われた顔は……ゼルガディス!
 レゾに肩を抱かれたゼルガディスと、それを見つめるゼルガディスの大きな違
いは表情だった。前者はどことなく不安げでおびえた感じがする。後者は驚きと
同時に、激しい怒り、強い意志が浮かんでいる。
「あの男の姿はあなたの心を映しているのです。あれがあなたの本心なのですよ」
 その声は、見ている方のゼルガディスの背後からした。すばやく振り返ると、
そこにレゾが立っている。
「えっ?」
 もう一度振り返ると、そちらにもレゾが不安げな表情のゼルガディスの肩を抱
いて立っている。
 新たに現れたレゾの手が、ゼルガディスの肩を捕まえる。
「さあ、あなたも本心に忠実になりなさい」
「嫌だ!これは嘘だ!」
 その手を振りほどいて逃げるように飛び下がる。しかし、退いたところにもレ
ゾがいた。今度は後ろからはがいじめにされる。
「あなたは私のものだ、ゼルガディス」
「嫌だ!放せ!」
 もがくゼルガディスの前に、幾人ものレゾが進んで来る。彼らはゼルガディス
の手足をつかむと、身動きできない彼を生贄のように頭上高く掲げた。
「嫌だ!嫌だ!嫌だぁぁぁ!」
 叫びながらゼルガディスは、ただ一人、饗宴に参加していないレゾに肩を抱か
れたもう一人の自分が、安堵した微笑を浮かべて自分を見ているのに気づいた。

       *      *      *      *

「ゼルガディスさん!!」
 アメリアが必死に叫ぶが、やはり岩に等しい身体はどんどん泥に飲まれて行く。
このままでは……
 アメリアは邪悪な存在を振り返り、カオス・ワーズを唱える。自分が魔法を使
えない状態であることを思い出しはしたが、何もしないであきらめることはでき
ない。ゼルガディスの命がかかっている!
 しかし、印を結んだ彼女に、邪悪な存在は突然、男の子から姿を変える。
 いまや泥の海を支配する者は、彼女の父親であった。
「父さん!?!」
 これは彼女には大きな打撃だった。ゼルガディスを救うためには、父親の姿を
した者を倒さなければならない。
 父親との間に葛藤を抱える前であれば、ただの映像、と割り切って呪文を放つ
ことができただろう。しかし、父親との関係に悩んでいる今、たとえ映像であっ
ても父親を攻撃することは、自分自身にとって許しがたい罪悪に感じる。
 呪文の詠唱が途切れ、印を結ぶ手が震える。
(目をつむって呪文を放てば……だめ、そんな生半可な呪文に力があるはずがな
い)
 ちらり、と背後の泥の海を見る。すでにゼルガディスの頭は見えず、手袋をし
た手が空しく手がかりを求めてもがいている。
(父さん……ゼルガディスさん……どちらを選べば……)
 ──望みを見失ったら『黄金の心臓』を探せ──
 ゼルガディスの言葉が心に響く。
(わたしの『黄金の心臓』は……どこに……)
 アメリアは何事かを決心するかのようにほんの一瞬、眼をつむったが、見開い
た目に迷いはなかった。彼女の父──を映し出した夢魔──にむかって呪を放つ。
「烈閃槍(エルメキア・ランス)!!!」

       *      *      *      *

「あなたは私のものだ、ゼルガディス」「私のものだ、ゼルガディス」
「私のものだ、ゼルガディス」「あなたは私のものだ、ゼルガディス」
 居並ぶレゾが口々に同じことを言う。
「違う!違う!俺は誰のものでもない!俺は俺自身だ!」
「そのあなた自身が私を望んだのだ」「あなた自身が私を望んだのだ」
「あなた自身が私を望んだのだ」「あなたが私を望んだのだ」
「嘘だ!俺はあんたを望んだりしていない!」
「ありのままのあなたを受け入れるのは私だけだ」「あなた受け入れるのは私だ
けだ」「受け入れるのは私だけだ」「あなたを受け入れるのは私だけだ」
「違う!あんた以外にも俺を受け入れる人間はいる!」
「そんな人間はいない」「そんな人間はいない」「そんな人間はいない」
「そんな人間はいない」
 身体を押さえつけられている圧迫だけではない、心理的なプレッシャーが耐え
がたいまでの苦痛をもたらす。ゼルガディスは抵抗力を奪われるのを感じた。
「違うんだ……いるんだ……いるはずなんだ……」
 抗う声からも力が失われていく。自分を捕まえているレゾたちの表情に貪欲な
喜びが広がるのを、絶望をはらんだ目で見つめながら、最後のプライドをかけて
叫んだ。
「アメリア!」
 そのとたん、真っ暗だった周囲がまばゆい光にあふれた。
 ふっ、と身体が軽くなり、自分を押さえつけているレゾたちが、驚いた表情を
浮かべながら消えていく。ゼルガディスは一人取り残され、静かに目を閉じた。

       *      *      *      *

「ゼルガディスさん!起きてください、朝ですよ!」
「え……?朝……?」
 アメリアに揺り起こされたゼルガディスは、いつになくはっきりしない頭を振
りながら身体を起こした。
「珍しいですね。ゼルガディスさんがこんなに眠り込むなんて……でも、わたし
もよく眠ってしまって。ゼルガディスを枕にして悪かったかな?」
「へ?枕?」
 彼は自分が狩猟小屋にいることに気がつき、昨晩のできごとを思い出す。
「な、何してるんですかぁ?」
「いや……ちょっと……」
 ゼルガディスはアメリアの頭を捕まえて、蟲がついていないかを調べ始めたの
だ。髪の間に潜り込んでいないか確かめるために、指でくしけずることまでする
から、アメリアの顔が真っ赤になる。
「ゼルガディスさん……やめてください〜……」
 アメリアの情けない声に、ようやく彼女の表情に気づいたゼルガディスは、慌
てて彼女から手を離した。
「あ、済まなかった……夕べ、あんたが眠り込んだ後、一度かまどの火がはぜて、
あんたの髪に燃え移ったんだ。それで焦げていないか確かめただけだ」
 必死に取り繕ったが、アメリアは彼の弁解など聞いていない。とにかく恥ずか
しくてうつむいている。
「怒ってるのか……?」
 アメリアは即座に首を横に振った。
 ゼルガディスは話題を変えた方がいい、と思いつく。
「じゃあ、食事にして、それから出発しようか?」
 アメリアが黙ったままコクリとうなずいた。ゼルガディスは立ち上がってかま
どに火を入れる。携帯食料を温めるためだ。
 火が起きてアメリアを振り返ったゼルガディスの目が、土間に転がる黒焦げに
なった蟲を捕らえた。突然緊張した彼の表情につられて、アメリアも小さく縮こ
まった黒い塊に気づく。
「こ……これ、何ですか?」
「触るな!」
 鋭い声にアメリアが身をすくめると、ゼルガディスは蟲の死骸を摘み上げ、か
まどの火に放り込む。
 昨夜、あの蟲が自分たちを眠らせたことまでは覚えていたが、その後のことは
きれいに記憶から消えている。蟲にとどめをさしたのが、自分なのかアメリアな
のかは分からないが、眠っている間に何かが起きたことは間違いない。
 何か……大切なことを忘れてしまったような気がする。
 蟲を飲み込んだ炎を見つめながら、いくら考えても思い出せない。
 ゼルガディスは一つ、息を吐いてアメリアを振り返ると、生気あふれる瞳がこ
ちらを見つめていた。
 彼はごく自然に微笑を浮かべた。

「あっ!あそこで荷車が!」
 街道を並んで歩いていると、アメリアが駆け出した。少し先で荷車が泥に車輪
を取られたのか、立ち往生している。農夫がなんとか引き出そうとしているが、
びくとも動く様子が無い。
(やれやれ、またおせっかいか……)
 ため息をつきながら手助けに行こうとしたゼルガディスの足が止まる。
 アメリアが前に両手を突き出し、その手の動きに合わせ、荷車が宙に浮かぶ。
泥から脱した荷車は無事に街道に戻された。
「……魔力が復活したようだな」
 農夫の礼の言葉を背中に受けながら、再び二人で歩き出したとき、ゼルガディ
スがアメリアに言った。アメリアが笑顔で彼を見上げる。
「ええ。自信は無かったんですけれど、何でもいいからやってみよう、って思っ
たらできたんです……ゼルガディスさん?」
「うん?」
「昨日はありがとうございました。あの……『黄金の心臓』の話なんですけど、
なんて表現したらいいのか分からないんですけど、とっても嬉しかったです」
 ゼルガディスはアメリアの笑顔を眩しいと思った。
 『黄金の心臓』の話は、正確に言うと、少し違う。それは言い伝えではなく、
彼が昔聞いた歌の一節なのだ。しかも詩の内容は「不可解なモノを追い求めなが
ら年老いていく、人間とはそういうものだ」という、とりようによっては、人間
のやるせなさや悲劇を歌っているようにも取れる。
(アメリアは……絶望や迷いの中でも、積極的に生きる道を見つけることができ
るのではないか?)
 彼女の天真爛漫さは、彼女が愛されて育った証拠。ゼルガディスはそんな彼女
が培った強さに憧れを感じ始めていた。
 そのアメリアの笑顔が、急に困った表情に変わる。
「そうだ……謝らなくちゃいけないことがあったんです」
「え?」
「昨日、せっかく助けていただいたのに、お礼も言わないでいきなり叩いて……」
「ああ?池でモンスターに出くわしたときのことか?気にしなくていいさ」
「でも!わたしったらたかが『女なんだから』って言われただけなのに、あんな
に取り乱したりして……今、思うととても恥ずかしいです。私は女だから魔法が
使えない日があって当然なんです。ちょっと悔しいけど」
「俺は……アメリアが女でよかった、と思うが……」
 そう言ったゼルガディスの声は低く、しかもあさっての方を向いていたので、
アメリアの耳にはよく聞こえなかった。
「え、何ですか?もう一度言ってください」
 ゼルガディスは苦笑しながら首を横に振り、微笑んだまま右手を差し出した。
「???」
 アメリアは立ち止まり、差し出された手と、ゼルガディスの顔を交互に見る。
「え?……あの……わたしの魔力が復活したから、これでもう護衛はおしまい、
っていうことですか?」
 別れの挨拶を拒むように、両手を背中で組んで必死に訴える。
「あ、あの〜。わたしはできれば最初の約束の通り、セイルーンまで来てもらえ
たらありがたいんですけれど……だって、まだもっといろいろ謝らなくちゃなら
ないことも……」
 ゼルガディスは微笑を大きくすると、左手で彼女の左腕をつかんだ。そっと彼
女の左手を引き寄せ、自分の右手とつなぐ。そのまま、街道を歩き始めた。
 初めは引っ張られるだけだったアメリアも、すぐに彼に並び、右手も彼の右腕
に添える。見上げた彼女の笑顔を、やはり笑顔が見下ろしていた
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