『黄金の心臓を探して』(夢魔編)

<四.黄金の心臓はどこにある?>

 一人になってどれほど歩いたことだろう?
 すでに日はだいぶ傾いている。アメリアは街道から森に入る道をたどった。こ
れは猟師やきこりが使う道。とすれば、この先には狩猟小屋なり道具を収める倉
庫がある可能性が高い。そこで一晩を過ごすつもりだった。
 道はやがて小さな池を回り込む。
 アメリアは、暗い木陰とまだ明るさを残す空を映した水面に見入った。一歩近
づくと、さざなみ一つない水に、少女の姿が現れた。
 頼りない、今にも泣き出しそうな表情。
 池に映る自分の顔を見つめていると、アメリアの頭に先刻のゼルガディスの言
葉がよみがえる。
 ──自分でできないことに手を出すんじゃない──
 アメリアは池のほとりにしゃがみこんだ。
(さっき……どうしてわたしは盗賊に立ち向かうことができなかったのかしら?
前は、魔法を使うほどもない相手には、素手のまま戦うことだってできたのに…)
 アメリアは気づいていなかった。
 彼女が魔法を使えなくなったことも、盗賊相手に恐怖を感じて戦えなくなった
ことも、すべては同じところに原因があることを。
 「アメリアが男だったら」
 父親のこの一言、その真の意味を知らずにいること。それがすべての彼女の迷
いのもとだった。
 アメリアはただ戦いが好きだったのではない。正義のために、愛のために、真
実のためだからこそ、戦って勝つことを求めていた。それはすべて、憧れていた
父親に自分自身を近づけることが目的だったのだ。
 それは無意識の目的だったから、彼女は自分が父親になりきろうとしているな
どとは思ってもいない。しかし、心の底に「父親のようになりたい」「父さんに
なりたい」という欲求がしっかりと根付いていた。
 彼女の心に染み渡ったこの欲求を、「アメリアが男だったら」という言葉は頭ご
なしに否定する意味に聞こえた。だから彼女の心はこれまでと正反対に「父親
のようになってはならない」と、彼女から戦う力を奪う方向に傾いてしまったの
だ。
 もともとの精神状態を、自分でも把握していなかった以上、迷いの原因を知る
こともできない。アメリアは、ただただ出口のない迷路をさまよっている状態だ
った。
(フィブリゾの冥王宮でも、これほど不安定な気持ちにはならなかったのに……)
 涙がこぼれそうになるのをこらえて頭を振った時、アメリアの背後の木立から
ガサガサと音がした。
「ゼルガディスさん?」
 振り返り、反射的に問い掛けた彼女の前に現れたのは、巨大なムカデのような
モンスター。円月刀を二本構えたような凶悪な牙から、よだれを思わせる粘液が
滴り落ちている。
 アメリアは恐怖と驚きに縛られ、声も出せない。自分が魔法を使えるかどうか
試してみる気も起こらなかった。逃げ出したいのに身体が動かない。その呪縛を
断ち切ったのは、モンスターが自分への攻撃態勢に入ったのに気づき、湧き上が
った強い生存本能だった。
 アメリアは叫ぶと同時に、とっさに背にしていた池に飛び込む。
 しかし、モンスターは驚くべき跳躍をみせ、腰まで水につかって何とか岸から
離れようともがくアメリアに突進した。
(もうダメ!)
 アメリアは固く目を閉じた。
 ざばぁぁっん!
 間近で盛大な水音がして、大量のしぶきが頭から降り注ぐ。ぬれねずみになり
ながら、再びアメリアは立ちすくんでいた。
 ………………
 何も起こらない。何がどうなったのだろう?
 攻撃がないということは、モンスターは逃げ出したのだろうか?
 しかし、目を開けて確かめる気力がない。冷たい水に立ちつくすだけ。
 ざぶざぶざぶっ!
 急に水をかき分ける音が近づいてくる。
 こぶしを口に押し当てて叫びを飲み込んでいると、ふいに水の中から抱き上げ
られた。
「えっ?」
 驚いて目を開けると、ゼルガディスの腕に抱えられている。彼は無表情にまっ
すぐ前を見つめ、一言も発さずに池から岸の道へ上がった。そしてアメリアを抱
いたまま、彼女が目指した森の奥へ進んで行く。
 ちらり、と彼の肩越しに池を振り返ると、頭を斬り捨てられたモンスターの死
体が、空の色を映した水面に黒い溝を描くように横たわっていた。
 アメリアはゼルガディスに目を戻したが、彼は相変わらず前を見つめ、彼女を
見ようとしない。先ほどかぶっていたフードは、激しい動きの中ではだけたのか、
金属の髪の先からいくつもしずくが落ちている。
(さっき……わたしが叫んで池に飛び込んだすぐ後を、モンスターは追ってきた
……ゼルガディスさんがわたしの叫びを聞いて駆けつけたのなら、きっと間に合
わなかったはずだわ。彼は……一度別れたわたしを追いかけて来てくれていたん
だわ……)
 自分が意地を張ったまま森に入ったのに引き換え、彼はアメリアの身を案じ、
こだわりを捨てて迎えに来てくれた。その懐の広さを思うと、自分が子供に思え
て恥ずかしくなると同時に、言葉には出ない彼の優しさが心に染み込んでくる。
 アメリアはゼルガディスの濡れた髪をふいてやろうと、ハンカチを探そうとし
て、自分も頭から水をかぶっていることに気がつく。彼女はせめて言葉で礼と謝
罪を表そうと、口を開いた。
「……ゼルガディスさん……」
 だが、声をかけられた方は、照れ隠しなのか、それとも恐怖で口も聞けなくな
っていた彼女をいたわってのことなのか、アメリアをさえぎってこう言った。
「……女なんだから、無理するな」
 ばちぃぃぃん!
 アメリアの平手打ちが、ゼルガディスの顔に炸裂する。
 ゼルガディスは痛さよりも不意を打たれた衝撃で、思わず抱いていたアメリア
を取り落とした。
 片手で頬を押さえながら、地面に立ち上がった少女をにらみつけたが、次の瞬
間、彼の表情の方がこわばった。
 アメリアの目に涙があふれている。
「ゼルガティスさんに…ゼルガディスさんに、私の気持ちなんかわかりません!」
 アメリアはそれだけ言うと、きっと口をつぐみ、ゼルガディスは言葉を飲む。
 黙って見詰め合う二人の上で、空に暗雲が広がり、雨が降り始めた。
「アメリア……そのままじゃ濡れるぞ。風の結界を張るからこっちへ来い」
 ゼルガディスが一歩、彼女に近づくとアメリアは一歩退く。
「……どうした?」
「いりません。どうせ、最初から濡れていますから」
 降りしきる雨に、涙を隠してもらいたい──それが彼女の本音。
 しかし、声に含まれる涙の成分をゼルガディスは聞き分けた。ちょっと肩をす
くめると呪文を唱え。
 次の瞬間、風の結界に覆われたのはアメリアだった。ゼルガディスはフードを
かぶると、先に立って歩き出す。アメリアはなすすべなくついて行った……

「どうして、わたしだけ結界に入れたんですか?」
 狩猟小屋にたどり着き、かまどに火を入れて室内を暖め、ゼルガディスがアメ
リアの周りに張っていた風の結界を解除すると、真っ先にアメリアが言った言葉
がそれだった。ゼルガディスは濡れたマントを柱の釘にかけ、一呼吸置いてから
答える。
「二人分作っても良かったんだが……多分、あんたは一人になりたいんだろう、
と思っただけだ。どちらかしか入れないなら、雨に打たれても影響が少ない俺よ
りは生身のあんたが入るのが当然だ」
 彼はかまどの火のそばに立って、濡れたズボンを乾かしている。アメリアは火
の正面の土間に板切れを敷いて座り込んでいる。
「……さっきは済まなかった」
 突然、謝ったのはゼルガディス。アメリアは目を見開いて彼を見上げた。
「池から上がった時、『女なんだから』どうこう、と……それほど深刻な意味で
言ったつもりはないんだが、あんたを傷つけたらしい」
 どきり。
 アメリアは土がむき出しになっている床に視線を落とした。
 どうして彼は、こうまで優しいのか……。深刻な意味ではなく発せられた言葉
に傷つけられるのは彼も同じなのに。せっかく助けた学僧に「化け物」よばわり
された時、明らかにゼルガディスは気分を害していた。アメリアは、そんな彼を
いたわるどころか、逆なでする言葉しかかけられなかったのに、今、彼はそんな
自分の傷など感じさせず、目の前の少女をいたわっている。
(これが……男と女の違いなの……?)
 またアメリアの目から涙がこぼれた。それに気づいたゼルガディスが慌てる。
「済まない。嫌なことを思い出させたか?悪かった。どうか泣かないでくれ」
 アメリアの前にひざまずき、震える肩に手を添える。ただ、顔を覗き込んでは
逆効果だろう。そのまま、彼女の反応を辛抱強く待つ。
「ゼルガディスさん……」
「何だ?」
「一つ……きいてもいいですか?」
「……きかれる内容にもよるが……」
「きっと……ゼルガディスさんが腹を立てるようなことだと思います。でも、腹を
立てずにきいて欲しいんです」
「……いいだろう。言ってみろ」
 アメリアはずっと下を向いたまましゃべり続ける。
「ゼルガディスさんは……自分の身体を人間に戻す方法を求めて、旅を続けてい
ますよね、一人で。……でも、一人でいるのは、その……今の姿に原因があると
思うんです。人間に戻ったら、きっと一人ではなく仲間を持つんでしょうね」
「……そう……だな。きっとそうだろう」
 アメリアが顔を上げた。涙はもう乾いて頬に筋を残している。
「じゃあ、もし人間に戻る方法がない、と分かった時は、何を支えにして一人で
旅を続ける、と思いますか?」
「…………!」
 ゼルガディスの表情が硬くなったが、目に怒りは浮かんでいない。むしろ、ア
メリアを気遣うようないぶかしげな表情がある。
 彼は、投げかけられた質問の裏を考えていた。恐らく、彼女は自分のシチュエ
ーションを何とかしたい、と考えて助言を求めたいのだろうが、自分の状況を赤
裸々に話すことが難しいのだろう。だからあえてゼルガディスになぞらえた。
(俺にとって『人間の身体に戻る』ことが一人旅の苦労を支えている。その支え
がなくなったら、何を支えにするのか、と彼女は問うた。では、彼女が本当に尋
ねたいことは……彼女は生きる支えを失いかけているのか?その代わりになるも
のを見出せずに迷っているのか……それが魔法を使えなくなった理由なのか?)
 ゼルガディスは立ち上がり、かまどの前に進んだ。
 ぱちり、と枯れ枝が燃えてはぜる。
 踊る火の粉を見つめ、ゼルガディスは低い声で言った。
「もし……人間に戻る方法が見つからない、と分かったら……たぶん、しばらく
は『黄金の心臓』を探すだろう」
「『黄金の心臓』?……何ですか、それ?」
 思いも寄らない言葉に興味をかきたてられたアメリアは、それまでの悩みを一
旦横に置いてしまう。
「……昔、聞いたことがあるんだ。人間の胎児の心臓は母親の胎(はら)から出
るまでは黄金でできていると」
「…………?」
「しかし、世の中に生まれたとたん、ふつうの心臓になってしまい、『黄金の心
臓』はその赤ん坊のどこかに隠れるそうだ……つまり、誰もが『黄金の心臓』を
持っている、ということだ」
「でも……自分の身体の中を、どうやって調べるんですか?」
「心臓は人間の臓器の中で、一番外から所在が分かりやすいモノだ」
 言いながらアメリアに目を向けたゼルガディスは、好奇心にあふれ、まっすぐ
に自分を見つめる目とぶつかり、どきりとする。
 かつてレゾの手下だった時代、腕っぷしだけでなく頭脳も評価されていたゼル
ガディスは、さまざまな知識を与えられたし、自分でも身につけようと努力した。
知識を元に知恵を巡らして仕事を果たし、部下を手足のように使ったこともある。
部下の中には、自分への忠誠を誓うほどの信頼関係を持つ者もいたし、彼らの相
談に乗った経験もある。
 しかし、目の前の少女は、一国の姫君という身分にも関わらず、異形の男の話
に熱心に耳を傾けている。この警戒心の無さというのか……開けっぴろげの態度
はいったい何だろう?その態度が、ゼルガディスを信頼している姿勢を見せて彼
の気を引き、自分の身の安全を確保する、などという打算でないことは、一目で
分かる。
(彼女も世の中に自分を害そうとする人間がいることを知っている。従兄弟に父
親を殺されそうになったこともあるというのに、仲間や身内が自分を裏切ること
はない、と信じているのだろうか?)
 ゼルガディスは火のそばを離れて、アメリアの横へ行き隣に腰をおろした。彼
女の視線にモロにさらされているのが嫌だったのだ。間近に座って、前を見て話
していれば、自分を見つめる目も視界には入らない。
 一つ息をついて、また話し始める。
 「心臓は、臓器の中で唯一、鼓動で動いている場所が分かる。『黄金の心臓』も
同じ心臓なのだから、鼓動があるはずだ。ただし」
 「ただし?」
 「その鼓動は耳には聞こえないそうだ」
 「じゃあ、やっぱり探せないじゃないですか?」
 「耳には聞こえないが、心には聞こえることがある」
 「…………」
 「あんたも言うように、すごく難しい問題さ。だが、探してみる価値はあるだろ
う?自分の『黄金の心臓』を探すために、さまざまな自分自身をかえりみること
が必要になる。やがて、さしせまってやらなければならない問題も、次々に出て
来ることだって考えられる。『黄金の心臓』を探すことが、その後の生き方を見
つけるきっかけになるんじゃないか、と思うのさ」
 口をつぐんだゼルガディスの横顔を、アメリアはしばらく見つめ、やがて膝を
抱える自分の手を見下ろした。
 彼が言った『黄金の心臓』とは、具体的なものではない、という気がする。言
い換えるなら、『希望』『夢』に近いのではないか。
 一つの目標を無くしたら、次の目標が見つかるまで、心の中の漠然とした『夢』
を見つめ直してみたらいい。そう言われているように思う。
 (そう……父さんのようになりたい、と思っていたのに、なれない、と言われた
わたしが次に何を目指せばいいのか……それを探すことが大切なんですね……)
 少し心が軽くなる。
 何よりも、自分のした質問に腹も立てず、一生懸命に答えてくれたゼルガディ
スの誠意が、アメリアに自信を与えてくれた。どれほど感謝しているか、何と言
葉に表したらいいのか考え込み、せめて笑顔を見せようと頭を上げようとした時。
 アメリアは目の前が急に暗くなるのを感じた。
(火が消えたの……ううん、そんなはずは……)
 両手でかかえた膝に頭を預けた姿勢のまま、彼女はゼルガディスの方へ身体を
よろめかせた。
「!?」
 アメリアにもたれかかられて、ゼルガディスは慌てた。彼女が時折見せる、自
分への好意のようなものは知っていたが、これまではあえて取り合わなかった。
放浪を定められた自分に、心に残る存在は必要ない、と言い聞かせてきた。実際
に距離を保っていれば、相手も近づいてこない、と思っていたのに。
 (……女の方からアクションを起こすのか?)
 「……父さん」
 「へ?」
 よくよく見れば、アメリアはすっかり眠っている。
 ゼルガディスは自分の勘違いに苦笑し、そっと彼女を土間に横たえた。小屋の
隅には使い古された麻袋が捨てられている。ほこりを払って広げ、身体の下に敷
いてやった。
 邪気のない無垢の魂が、まったく無防備に自分を信頼しきっていることに、昼
間、街道で助けた学僧から化け物呼ばわりされた傷が癒されていくのを感じる。
 (俺は……どれほど真剣に人間の身体に戻りたいのだろう?)
 渇望に近い望みであることは間違いないが、今のままの自分を受け入れてくれ
る人間──アメリアだけではない、リナもガウリイも、アメリアの父親も──が
いる以上、万が一望みを断たれても構わないような気持ちになる。
 「あきらめはしないさ。だが……」
 自分に言い聞かせるように口に出す。
「人生の希望は一つだけではない、ということだ……」
 人生での希望が一つではない──ならば、自分にとって人間の身体に戻る方法
以外に、望むものがあるのだろうか?
 (……仲間…友達…くされ縁……)
 チラリと眠るアメリアを見やる。
 (……恋人?)
 自分の身体を元に戻す方法を探して、つまり自身のことでいっぱいだったゼル
ガディスの心に、これまで他人を住まわせる余裕はなかった。
 (それは、今も?そして、これからも……?)
  ずきん。
  心の底で警鐘が鳴る。眠っているアメリアが女性であることを急に意識して、
戸惑いながら目をそらす。
 (バカな、何を考えているんだ、俺は)
 深呼吸をして、アメリアの向こうに見えるかまどの火を眺めた時。
 ゼルガディスはあたりが突然暗くなるのを感じた。
 「何だ?これは……」
 本能が警告を告げている。これは何物かの攻撃だ!
 既に身体を動かすこともままならない。
 「アメリアが……眠ったのも……こいつのせい……か」
 かすむ目で必死にあたりを探る。
 アメリアの髪の上で、池で倒したモンスターのミニチュアのようなモノが、小
さな牙をむいた顎を誇らしげにもたげている。
 それを見分けるのが精一杯だった。
 「アメリア……」
 ゼルガディスが伸ばした手が、アメリアの腕に触れるのと、彼が意識を失った
のは同時だった。

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