『黄金の心臓を探して』(夢魔編)

<二.聞いてしまった!その言葉>

 「ゼル、あなた、これから行くアテでもある?」
 サロンでの話も一段落し、フィルさんが退出した後、リナはさりげなくゼルガ
ディスに尋ねた。問われた方は、首をかしげる。
 「いいや、あるような、ないようなってところだ」
 「じゃあさ、あたしたちと一緒に来ない?……っていうのも、あたしがこれから
行こうとしているところは、まんざらあなたに関係がないわけではないのよ」
 ゼルガディスとアメリア、ガウリイの視線がリナに集まる。それぞれの表情は
いぶかしげであったり、ただ驚いているようであったり、果てはただ眺めている
だけであったりする。
 「これから行くのはキアッシュっていう町の魔道士協会なんだけれど……そこに
ね、あるっていう噂なの」
 「何がある、と?」
 低い声でゼルガディスが問う。
 「赤法師レゾの遺産……」
 一瞬、ゼルガディスの目が見開かれる。アメリアは口までぽかんとあけた。
 「遺産って……レゾが死んだことは公にはなっていないはずだぞ……」
 「でも、赤法師はもう十年以上も伝説的な存在よ。本人が生きていて抗議でもし
ない限り、『遺産』という言葉を使った方が聞こえはいいと思うわ。
 ねえ、ゼル、あなたキアッシュとレゾの繋がりについて知らない?」
 「いいや。俺が知る限り、奴が長く滞在した町にそういう名前の土地はないな」
 「するとやはり眉つばなのかなぁ……」
 腕を組んで考え込むリナに、ゼルガディスは身を乗り出して尋ねる。
 「だいたい、遺産といっても、中身は何なんだ?」
 「なんでも、彼の研究結果だとか。魔道書か何かじゃない?」
 ゼルガディスは端正な眉をぴくりと動かした。
 「それはあり得ない。第一、目が見えないアイツが文字を残すはずがない」
 「でも、誰かに筆記させることはできるでしょう?」
 「おいおい。あんた、自分が魔道の実験をしたとして、その経過とか結果を他人
に漏らすか?」 
 「うっ……」
 ツッコまれてリナはうめいた。確かに、魔道士は実験に関しては秘密主義であ
る。賢者と称されるほどの魔道士が、オリジナルの魔法について文献を残すとは
思えない。もしもそんなものが存在したとしたら、逆に中身は当たり障りのない
事柄だろう。
 だが、そんな当たり障りのない事柄も、見る目が違えば見えるものが変わるか
もしれない。
 「と、とにかく。あたしはキアッシュでその遺産とやらにあたってみるつもりだ
けれど、できればあなたに真贋を判断してもらえたらいいな、と思って。どう?
うまくいったらそれなりにお礼はするわ」
 頼み込まれてゼルガディスも腕を組んで考えている。リナはまた、アメリアの
様子をうかがった。今、ゼルはセイルーンを発とうとしている。彼女はそれをど
のような表情で受け止めているのか……
 アメリアの顔には、ゼルガディスを気遣う気配がありありとしている。それは
彼が出発することへの寂しさというよりは、ゼルが抱えている赤法師レゾとの確
執を思いやっている態度のようだ。
 (彼がいなくなることへの不安を見せない、ということは……やっぱりアメリア
にとっては父親が一番なのかなぁ?)
 やがてゼルガディスが顔を上げて言った。
 「分かった、リナ。俺もいっしょにキアッシュへ行こう」
 「あ、サンキュー。じゃあ、今日の午後には出発するつもりだけれど?」
 「それは構わないが……あんたたちはともかく、俺はいくらなんでも魔道士協会
の建物には入れないと思うが?」
 ふだん、顔を隠しているゼルは見るからに「怪しいヤツ」だ。たしかに、魔道
士協会には入りにくいだろう。しかし。
 「あなたに見てもらわなくちゃ始まらないでしょ!いいの。一緒に来れば!」
 「……何か手でもあるのか?」
 「それは相手の出方しだいよ。自由閲覧が許されているかもしれないし、逆に色
のローブを持つ者以外には見せない、ということも考えられるわ」
 「ほう?……と、いうことはリナ、あんた、色のローブを持っているのか。何色
だ?」
 「……うっ……さ、さあて、あたしは旅の前に腹ごしらえしよっかな〜?」
 「おい?どうした?」
 急に席を立ち上がったリナに、ゼルガディスが声をかけたが彼女は答えない。
 「色のローブってあれか?お前さんが郷里に置いて来たって言ってたピンクのロ
ーブのことかぁ?」
 「ガ・ウ・リ・イ……」
 脳天気な声でほざくガウリイに、リナが肩を震わせて凄む。
 「ああああっ!悪かった、悪かった!俺が悪かったぁぁぁぁ!」
 「何が悪かったんです……むぐぐぐ」
 謝り倒すガウリイに、のんきに問いかけるアメリアの口をふさいだのは、リナ
の殺気にただならぬものを感じたゼルガディスだった。アメリアの耳元で。
 (ばか!なぜだか分からないが、リナの前で色のローブの話はタブーだ!)
 (ふぐむんむふふ?<そうなんですか?>)
 (まあ、ガウリイはなぜ自分が謝らなくちゃならないのか、分かっていないだろ
うが……)
  いきり立ったリナは、そのままの勢いで台所へ行き、大食いでストレスを解消
した。おかげでまだ昼だというのに、王宮の下働きの者のその日の食事用に用意
されていた食材は底をついてしまった。
  王宮はきちんと財政管理されている。一日の食費も厳密に計算されており、少
しは余裕を持たせてあるが、まるまる一食分の金額を急遽支出するのは異例のこ
とである。
  自分が最初にリナたちを厨房に案内した手前、アメリアは大蔵大臣にことの経
過を説明する必要を感じ、書類を持って大臣の執務室を訪ねたが、目指す人物は
そこにはいなかった。こういう場合、大臣連中は現在国政を一手に引き受けてい
る第一王位継承者、フィリオネル殿下の執務室にいることが多い。彼女はその足
で、父親の執務室へ向かった。
  これが大臣といえども臣下であれば、途中で足止めされただろう。しかし、ア
メリアはフィリオネル殿下の第二王女である。衛士たちは執務室への通路を進む
彼女を止めなかった。
 執務室の入り口には扉はない。厚手の毛織物のカーテンで仕切られているだけ
である。招かれざる客はそれよりもずっと前、通路の入り口で留められるはずだ
からだ。
 そのために、フィリオネル殿下をはじめ居並ぶ重臣たちは、話題の主がすぐそ
ばまで来ていることなど知らずに、重要な話を展開していた。即ち、現国王が崩
御された場合、誰を次の第一王位継承者となすべきか。
 セイルーンには女王を忌避する法律はない。しかし、慣習として国王に男と女
の子どもがあった場合、年少でも男の方が王位継承権では優先されて来た。フィ
リオネル殿下には男児がなく、王女が二人いるが、長女は長く国を留守にしてい
る。このままでは、第二王女であるアメリア姫が将来の第一王位継承権を持つこ
とになる……。
 「しかるべき人物をみつくろい、アメリア姫と結婚のあかつきに王位継承権を与
える、ということも考えられなくはないでしょうか?」
 言い出したのは宮内典礼大臣。
 「それでは血筋というものを軽んじることにならないか?やはり王位継承権はセ
イルーン王家の血を引く者に限らなければ」
 異論を唱えたのは国軍司令官の軍務大臣。
 「いや、アメリア姫との間に子どもが生まれれば、その子どもにはセイル−ン王
家の血が流れている。その子どもの父親、という状況になって初めて継承権を認
めればいい」
 口々に意見を述べる重臣たちの意見を黙って聞いていたフィリオネル殿下は、
大きくため息をついた。重臣たちは口をつぐみ、殿下に注目する。話題の主の父
親はつぶやいた。
 「……アメリアが男じゃったらのう」
 女だから問題が起きる、などという意味で発した言葉ではない。「愛と正義と
真実」をモットーとして、明るくエネルギッシュな娘に成長したアメリアに、責
任ある地位を担う能力がない、などとは思わない。
 フィリオネル殿下は娘を深く愛している。彼女の明るさに、妻を失った苦しさ
や、どこに行ったかも分からない姉娘への心配を、どれほど救われて来たか。
 アメリアにはいつまでもその明るさを失わないで欲しい。今のまま、自由にやり
たいように行動させてやりたい。結婚も、本当の幸福をつかめるなら、身分などに
こだわらず決めさせてやりたい。
 それほどまでに娘を愛しているのに、誰もフィリオネル殿下の親心や、アメリ
アの意志に気配りをみせない。
 政治のドライさは知っているし、いまさら愚痴を言うつもりはない。ただ娘を
不憫に思う心は抑えようもなく発露する。そういうつぶやきだった。
 重臣たちの反応は、やはりフィリオネル殿下の親心を知らない言葉だった。
 「アメリア様に王位が勤まらぬ、などとは申しませぬが……エルドラン陛下とフ
ィリオネル殿下の後に就く立場といたしましては、もう少しインパクトが強い方
がよいと思われますし……何より、いずれお子を産み、お育てになることを考え
れば、国王としての仕事に忙殺されるお立場は、かなり重圧になられるのではな
いか、とご心配申し上げるしだいでございます」
 子を産み、育てる、という言葉にさえ、思いやりよりも「それが王族の義務で
ある」という響きが感じられる。フィリオネル殿下はまた深いため息をついた。

 アメリアはこの会話を最悪のタイミングで耳にした。父親のつぶやきと、それ
に対する反応しか聞かなかったのだ。
 (わたしが男だったら……?わたしが女だから、父さんの跡を継ぐ資格がない、
と言うの?)
 その前に自分の結婚の話題まで出ているなど知らないアメリアは、尊敬してい
る父親から「お前は女だから失格だ」と言われたように思え、その場に硬直した。
 手にした書類が震える。このまま父親の前に出たら泣き出してしまいそうだ。
 彼女はきびすを返し、大蔵大臣の執務室に戻った。
 大臣の部屋の椅子に腰をおろしてアメリアは考え込んでいた。
 (父さん……強くて、カッコよくて……わたしはこの世界で一番父さんが好き…
…だから、あたしも正義のヒーローになって、父さんと同じ道を歩みたい、と思
っているのに……正義のヒーローは、男でなくちゃいけないの?わたしは……
わたしは父さんにはなれないの!?)
 膝に乗せた書類に添えた手に、ぽたり、と涙が落ちる。アメリアはあわてて涙
をぬぐい、顔をまっすぐに上げた。
 (いけない。きちんと公務を勤めないと。それでこそ、父さんの娘なんだもの!
あたしはセイルーンの王子である父さんの娘で、その責任ある立場を十分に務め
られるんだもの!そうでなければならないんだもの!)
 自分自身を励まし、奮い起こしたものの、その日の午後、リナたちがセイルー
ンを離れてしまうと、アメリアは無性に寂しくなった。
 リナたちと一緒に旅をしていた間、とんでもなく無茶苦茶な騒動に巻き込まれ
はしたが、アメリアは自分の思い通りに生きてこられた。モットーである「愛と
正義と真実」を追求し、仲間と力を合わせて凄まじい強敵と戦った。戦いが勝利
に終わったとき、これで父親によい報告ができる、と誇らしかった。
 あの戦いは自分にとって何だったのだろう、と思う。彼女は愛する父親にとっ
て誇れる娘でありたかった。それだけのために戦ったわけではないが、戦いの中
で父親の笑顔が支えになっていたことは事実だった。
 それなのに……ただ「女だから」というだけで、自分がこれまで努力してきた
ことを、すべて否定された気がする。
 (リナさんたちと旅をしていた頃に戻りたい)
 彼女の中で、王宮から逃げ出したい気持ちが強くなる。

 その後の数日で当面の仕事を片付けたアメリアは、「しばらくお忍びで旅をし
ます」と書置きを残し、王宮を出た。
 はじめは後ろめたかったが、だんだんセイルーンから離れ、鳥のさえずりに耳
を慰められ、風にそよぐ木の葉の香りをかいでいるうちに、少しずつ元気が出て
くる。
 「さて……と。とりあえずはリナさんたちと合流しましょうか」
 ちらり、と、ゼルガディスさん、まだリナさんたちと一緒にいるかな、と思う。
 妙なもので、王宮という枠を離れると、なんとなくゼルガディスという存在が特
別に感じられる。王宮にいた間は、彼がセイルーンを離れる、と聞いても、別に
感じるところはなかったのに、今は一刻も早く彼の顔を見たい。状況によるこの
違いが何なのか、彼女は深く考えたことはなかった。
 アメリアは急いで街道をキアッシュに向けてたどっていった。

 「あの〜、つかぬことを伺いますが、最近、このあたりを顔を隠した白い服を着
た人と、小柄な女魔道士と、金髪の傭兵という三人連れが通りませんでしたか?」
 キアッシュまで後一日という町で、アメリアは昼食を摂っている食堂の主人に
尋ねた。
 「ああ、来たよ。三日前にうちに泊まっておとといの朝、出発した。白いのはあ
んまり食べなかったが、後の二人は食ったね〜」
 この食堂は、上が宿屋になっている。リナたちはここに一晩泊まって、キアッ
シュへむかったらしい。アメリアは急いで食事を終え、あわただしく出発した。
 彼女はリナたちに二日半、遅れている。リナたちがキアッシュでどれほどの時
間を、レゾの遺産の調査に費やすか分からない以上、できるだけ早く追いつきた
い。キアッシュを離れたらゼルガディスがリナたちと一緒に行動する保証はない
から。
 そう考えた時、アメリアの足が止まった。
 キアッシュでゼルガディスがリナたちと別れてしまっていたら……自分はどち
らを追いかけたらいいのだろう?
 これまでのように「正義の実現」のための旅ならば、何もリナたちと合流する
ことにこだわらなくてもよい。しかし、父親に否定され、迷っている今はリナた
ちに何としても追いつきたい。しかも、リナとガウリイ、ゼルガディス、三人が
揃っているところに追いつきたいのだ。
 もしも、ゼルガディスがリナたちとは別の道を行ってしまっていたら……
 リナは魔族に関わる事件に巻き込まれやすい。正義のための戦いに臨むならば、
迷うことなくリナを追う。だが、今回、自分はいたたまれない王宮から逃げ出して
来ている。できればこの心の葛藤を打ち明けるなり、解きほぐせる環境が欲し
い。リナとガウリイは……どちらも無理だろう。リナは相談の聞き役としては、
常識離れしているし、ガウリイは相談しているうちに眠ってしまうに違いない。
ゼルガディスは……ぶっきらぼうで他人のことなどに構う気はない。だが逆に
葛藤している自分がそばにいても、足手まといにならない限りはツッコミを入れ
たり、変に気を回すことはなさそうだ。
 アメリアの心の底で、チクリ、と何かが痛む。
自分がもしかしたら、ゼルガディスを選ぶ理由を探している気がして、心がと
がめる。彼女は一つため息をついて再び歩き出す。
 一つ悩むと、次々に前には気にならなかったようなことにまで引っかかる。そ
んな自分が嫌だ。
 「とにかく歩くこと!前に進めばきっと道は開けます!」
ふだんなら困っている人々を激励する言葉を自分に投げかけ、アメリアは歩き
続けた。

 二本の街道が交差する地点に着いた。まっすぐ進めばキアッシュ、左へ行けば
ハンズィ、右へ行けばガルへ向かう。直進の道に入ってほどなく。
アメリアは嫌な予感にかられて、街道脇の木によじ登った。
 るおおおおぉぉぉぉぉっ!
 森を分けて現れたのはレッサー・デーモン!
 「ど、どうしてこんなところにっ!?」
 さいわい、野良デーモンは一頭だけのようで、アメリアは余裕を持って相手の
様子をうかがえた。普通の人間やそんじょそこらの魔道士あたりなら、この一頭
を見ただけでパニックになるだろうが、アメリアが身につけてきた正義を愛する
心と精霊魔法は、こんな半魔獣などものともしない。
 彼女は勢いよく木の枝から飛び降り、地面に綺麗に着地した。
 「お待ちなさい!」
 言葉を理解するはずもない相手でも、口上は欠かすわけにはいかない。
 「街道ばたでおぞましい姿をさらし、罪なき旅人を脅かすとは即ち、悪!たった
 今、改心してまっとうな道に戻るならばともかく、さもなければこの場で成敗し
ますよ!」
 レッサー・デーモンはようやくアメリアに気づき、真正面から向かい合う。
 「聞く耳を持たぬと言うのですね!?ならば……」
アメリアは呪文の詠唱を始める。レッサー・デーモンも背中を丸めて攻撃体勢
に入る。
 「烈閃槍(エルメキア・ランス)!」
 るおおおおぉぉぉぉっ!
 アメリアの力ある言葉と、レッサー・デーモンの咆哮は同時だった。が。
 セイルーンの姫の手からは、本来生まれるはずの光の槍は生じなかった。そし
てレッサー・デーモンの背中から打ち出された炎の矢(フレア・アロー)が、襲い
掛かる!
 「くっ!?」
 アメリアは矢が直撃する寸前、とっさに身をかわした。しかし、地面で炸裂し
た矢が撒き散らす土くれは避けようがない。痛みに驚いて一瞬立ちすくむ間に、
デーモンが迫ってくる。
 「霊王結魔弾(ヴィスファランク)!」
 拳に魔力をためる呪文である。しかし、この時、彼女の手は素手のまま。
 「きゃっ!」
 すんでのところで地面を転がり、デーモンの爪を逃れたものの、ふだん使える
呪文がことごとく使えない状態なのは歴然である。アメリアは森に逃げ込んだ。
 るおおおおぉぉぉぉぉぉっ!
 再びデーモンの咆え声とともに、数十本の炎の矢が彼女を追って森に降り注ぐ。
 たちまち、木々に火が燃え移った。
 アメリアは完全に炎に取り囲まれた。木に登って避けようとすれば、デーモン
に狙い撃ちされる危険がある。炎を突っ切って逃げ出そうとしても、風の結界が
張れなければかなりのダメージを覚悟しなければならないし、そうしたからとい
って、デーモンから逃げ切れる保証はない。
 進退極まった時。
 ぐおんっ!
 後ろの炎の向こうで、爆発音がする。振り向いたアメリアの目に、炎を突っ切
って駆け寄ってくる人影が見えた。人影は彼女を捕まえると抱きかかえ、再び炎
を横切って脱出した。
 
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