元気娘と魔剣士

その7

<覚醒>

窓ガラス越しに、冬の太陽の光が差し込んできました。
陽射しは頼りないけれど、テラスに積もった雪を反射して、本来よりも明るい光を
投げかけてきていました。
昨日の夜からずっと、ゼルガディスはアメリアの傍を離れませんでした。
彼女の顔を見つめ、手を握りしめたまま眠れぬ一夜を過ごしたのです。
ゼルガディスは、小さな溜息を、ひとつ、落としました。自分の無力さを思い知る
と同時に、彼女が目醒めないのではないかと、不安を拭いきれなかったからでした。
 「…ダメなのか……」
自分でもどうしようもないくらい、焦りと苛立ちをゼルガディスは感じていました。
失意を抱いて目を伏せたとき、握りしめていたアメリアの手が、ふと動いたような
感じがして、ゼルガディスは視線をアメリアに向けました。
 「う…ん……」
 「アメリア!聞こえるか!?」
髪と同じ黒い睫毛が僅かに震え、固く閉じられていた瞼がゆっくりと開かれました。
光が眩しかったのか、一度はすぐ閉じられたのですが、やがて再び開かれた瞳は、
ゼルガディスのよく知っている、生気に満ちた大きな瞳でした。
ゆっくりとアメリアの視線が動き、彼女をじっと見つめるゼルガディスの顔で止ま
りました。
 「ゼル…ガ…ディス…さん……?」
 「アメリア……!」
 「ここは…?」
 「おまえの部屋だ。……心配することは何もないから、もう少し眠っていろ」
 「でも…」
 「いい子だから、休むんだ」
ゼルガディスの言葉に、アメリアは大人しく目を閉じました。
目醒めたのは一時的なものだったらしく、再び眠りの世界へと落ちていきました。
寝息を立てるアメリアの顔を見つめるゼルガディスの顔からは、先程までの不安は
消え去り、彼本来の強い眼差しが戻ってきたようでした。
控えめなノックの音と共に、シルフィールが部屋へ入ってきました。
 「おはようございます……眠らなかったのですか?」
ゼルガディスと眠り続けるアメリアを見て、心配そうな声音です。
 「ああ……。今、あんたを呼びに行こうと思っていたんだ」
 「アメリアさんに何か?」
ゼルガディスは頷きました。いつものように感情を見せない顔でしたが、その中に、
隠しきれずに覗いている喜びがあることにシルフィールは気付きました。
 「……少し前、目を醒ました。まだ記憶がぼうっとしているようだったから、
  もう一度眠らせたが……」
 「ゼルガディスさん…」
 「あんたの…あんたたちのおかげだ。……感謝する……」
 「いいえ、私たちは少しお手伝いをしただけです。アメリアさんを本当に救った
  のはあなたですわ」
ゼルガディスは目を閉じて、左右に首を振りました。
 「昨日の夜、あんたが言ってくれなければ、俺は永久にアメリアを失っていた。
  自分自身を認めないまま、大切な何かを見失ったままだったはずだ……。
  だが、それを気付かせてくれた」
シルフィールはにっこり笑い、もう何も言いませんでした。
ゼルガディスが、彼女の言葉によって、アメリアに対する自身の気持ちに気付いた
と思っているのならそれでいいと思ったのです。
誰がそう言わなくとも、彼ならば、いずれは彼自身で辿り着いたであろう結論では
あっても、彼の思うままにしておいた方が、ゼルガディスの心が楽になるだろうと。
 「もう心配ないようですね」
 「そうだな」
アメリアの落ち着いた様子を確認して、二人は部屋を出て階下へ向かいました。
階段を降りると、ホールにはガウリィが待っていました。
 「よぉ、あの子の様子はどうだ?」
 「大丈夫だ。じきに目を醒ますだろう」
 「そっかぁ…良かったな。……じゃ、そろそろ俺たちは出発することにするよ」
 「ああ…あんたたちには目的があったんだったな。寄り道させることになって、
  悪かったな」
 「なぁ〜に、いいってことさ」
 「私たちの方こそお世話になりました」
その朝は、冬の女王も一眠りしているかのように、柔らかい陽射しが辺りを包んで
いました。ゼルガディスもガウリィたちを送るために、門まで同行しました。
 「また帰りに寄るかもな。…ここのメシは美味かったからな(笑)」
門を抜けながらガウリィが言いました。
 「ああ、そうだな。次は10人前くらいは必要だな」
 「お!わかってるじゃん」
 「世話になったな」
 「いいさ、気にするなよ。じゃ、いつかまたな」
 「ゼルガディスさん、自分を…アメリアさんを大切にしてくださいね」
 「ああ……あんたには感謝している。……気を付けて」
 「またお会いしましょうね」
小さく手を振って、二人の姿は森の道に見えなくなりました。

彼等の後ろ姿をしばらく見送って、ゼルガディスは屋敷の中に戻り、再びアメリア
の元へ足を運びました。
アメリアはまだ眠っていました。でも、ゼルガディスは傍を離れようとはしません
でした。彼女が目醒めたとき、一人にしておきたくなかったのです。
このときのゼルガディスは、アメリアのためと言うよりも、むしろ、自分のために
彼女の傍に居たいと思っていたかもしれませんでした。アメリアを大切に思う自分
の気持ちに、初めて正直になっていたからです。
他人から見れば、無為だと思える程の時間が流れて行きました。
何をするわけでもなく、ただ、眠り続けているアメリアを見ているだけでしたが、
ゼルガディスには、この流れる時間すらも意味のあることだったのです。
この部屋へ戻ってから、どれくらいの時間が経ったことでしょう。
小さな吐息を漏らしてアメリアが目を醒ましました。
目醒めたアメリアの目に最初に映ったものは、自分を見つめるゼルガディスの瞳で
した。それは、彼女の記憶の最後にあったものと違い、優しい眼差しでした。
 「ゼルガディスさん……」
 「目が醒めたか?」
 「……私……」
 「どこか痛む所はないか?」
 「はい……。私、どうしてここに……?確か、森に居たはずなのに……」
 「怪我をしていたおまえを、通り掛かった人が助けてくれたんだ」
 「そうなんですか……。でも、それならどうしてここへ?
  ……そうだわ、私、狼をやっつけた後に、あの、ゼロスって人と……」
 「思い出したのか?」
 「ええ……。あの人が私に……」
そう言うと、アメリアは突然起き上がり、ゼルガディスから目を外らすように、
窓の方へ顔を向けました。
 「どうしたんだ?」
 「私…、ここにいちゃいけないんです」
 「?」
 「だって…、私……ゼルガディスさんのこと、何もわかってなくて……それで、
  私、どうしていいかわからなくて……。
  そしたら、ゼロスさんがあんなこと言うから……」
 「アメリア……」
 「私、ゼルガディスさんを傷付けてしまったから、だから、ここにはいられない
  と思って……。ゼルガディスさんに優しくしてもらう資格なんてないんです!
  だって、あのバラも無くなっていたし、ゼルガディスさんは姿も見せないし、
  だから、私…私……ダメなんです!……何もゼルガディスさんにしてあげられ
  ない…!それが辛いんです。口ばっかりで本当は何もわかってなくて……!」
一気に言葉の奔流を吐き出してうつむいたアメリアの肩が、感情の昂ぶりを表わし
ているかのように小刻みに震えていました。ゼルガディスは、その肩にそっと手を
置き、そして、ゆっくり引き寄せながら、背中越しに彼女を抱きしめました。
 「もういい。…おまえが自分をそんなに責める必要はない」
 「でも……!」
突然の抱擁で、まるで雷に打たれたかのように身体を強張らせたアメリアを、抱き
しめたまま、ゼルガディスは言葉を続けました。
 「あのとき、おまえが俺を問い詰めたとき、俺は自分のことしか考えてなかった。
  俺のことをわかっているはずだと、勝手に思い込んでいたんだ。
  盗賊たちを殺したのは、おまえを貶めることを言ったからだ。俺だけのことな
  ら見逃してやっただろうが、おまえのことを言われて、俺は……!
  でも、それをおまえに言いたくはなかったんだ。言えば、おまえが俺から離れ
  ていってしまうような気がして……。
  だが、その後、おまえと顔を合わさずにいた……たかが1週間の間が、俺には
  何ヶ月にも感じられた……」
ゼルガディスの言葉を聞きながら、アメリアの胸は張り裂けんばかりに、高鳴って
いました。彼が何を言っているのか、何を言おうとしているのか、、。不安と期待
が交錯し、ただ彼の腕の中でうつむいているだけでした。
 「そのとき、俺は初めて自分の気持ちに気付いたんだ。俺には、おまえのいない
  世界は考えられない…!俺が俺で在るためにはおまえが必要なんだ……!」
 「ゼルガディスさん……」
 「おまえだけは、何があっても俺が守る…。だから…二度と俺から離れるな…!」
それは、ゼルガディス自身にとっても、思いもよらない言葉でした。こんなことを
言うはずではない。けれど、アメリアの言葉を聞いた途端、彼女の温もりを感じた
途端、まるで心が暴走を始めたように、言葉は口をついて流れ出したのです。
今までは、お互いがそれぞれ一方通行に、自分だけの気持ちを押し付けていただけ
だったのかもしれません。アメリアがゼルガディスのことを理解していなかったと
自分を責めたように、ゼルガディスも、アメリアの率直さに苛立ち、戸惑っていた
のです。
――姿がどうであれ、彼は人間以外の何者でもない――
彼の外見に、アメリアは拒否こそしなかったけれど、心から受け入れていたわけで
はなく、ゼルガディス自身も無意識の裡に、その現実を忘れようとしていたのです。
だから、本当にお互いの心の内に踏み込むことを、避けていたのかもしれません。
目に見えるものは偽れても、心は嘘をつけない――それがあの日のことで、二人の
間に亀裂を生んだのでした。
 「……俺の、傍に、いてくれ……」
アメリアは感じていました。冷たいはずの彼の身体が暖かいことを、、、。
勿論、その岩の肌からは温もりが伝わる訳はありません。でも、彼女にはそう思え
たのです。それは、彼女がこのとき初めて、ゼルガディスの心の裡にあった想いを
知り、それに応えることが出来たからかもしれません。
 「ごめんなさい…私……自分だけで、思い込んで……。ゼルガディスさんが何も
  言ってくれなかったことが悲しくて……。でもそれと同時に、ゼルガディスさ
  んのことを、何もわかっていなかった自分が情けなくて……」
アメリアはゼルガディスの方に顔を向け、その澄んだ大きな瞳で彼を見つめました。
 「眠っているとき、誰かが私を呼ぶ声が聞こえたんです。そのときは、誰の声か
  わからなかった。……でも、とても暖かい感じがして、その声に応えればいい
  んだって思ったんです」
アメリアは、笑ってるような泣いてるような、くしゃくしゃの顔になっていました。
 「あの声は、ゼルガディスさんの声だったんですね。私を呼び醒ましてくれたの
  は、ゼルガディスさんだったのでしょう?」
それ以上、何も言葉はいりませんでした。ただ、お互いのつながりを確かめ合い、
今、この瞬間を感じていたい……それだけで良かったのです。
小さなすれ違いから生まれた誤解も隙間も、このとき全てが解けていきました。
想いはぎこちない言葉で綴られ、届かなかった心は、温もりによって、二人の心の
中で確かなものになったのでした。
短い冬の日が陰ってゆくのにも気付かないまま、二人の影は離れることはなかった
のでした。
                             〜その次へ続く〜


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