昏い月  7,8,9 エピローグ

7  呪詛

 (魔物のような笑顔 魔物にしかできないような笑顔)
 (知らない あんなレゾは知らない)
 (ほほから首 火のように熱い)
 (夜盗が発する声にならない声 「 ば..け … の!!」)
 (夜盗は殺された)
 (レゾが殺した)
 (なぜ?)

 (ぼくを 守るために)

  恐怖 不安 安堵 

 (…どこだろう?ここは)

  かすかに漂う野の草の香りに、身体の力が抜ける。
  それは少年が一昨日、窓辺に干して行ったハーブ類の束の残り香。

 (…あたたかい…ここは多分、ルナン先生の家のぼくのベット)
 (…この家ほど、外側と内側が、ちがいすぎるところはないだろうな)

  そんなふうに思考だけが目覚めたあと、脳裏に夕べのレゾの姿がよみがえる。
  心が凍てつく。

 (あんなレゾは知らない…知らなかった)

  少年は目を閉じたまま、ゆっくりと記憶の糸を手繰りよせた。
  自分を抱えていた夜盗の頭が吹き飛んだとき、得物を握り締めたままの男の右手が
 自分のほほにあたって跳ねていった。
  そのまま気を失った自分を、レゾが抱いてここまで運んできたことを、かすかに
 記憶している。そこでようやく少年は目を開いた。

 「ゼル? 気が付きましたか?」

  ベットの傍らにいたレゾが、子どもの額に手をあてようとする。少年は反射的に
 身をすくめ、気配に敏感なレゾは、のばしかけた手を戻した。   

 「ゼル…?」

 「…ごめんなさい」 知らず知らずのうちに少年の唇が動く
 
 「?」

 「…勝手についてきて…ゲームはぼくの負け…」
 
 「それは私もおなじですよ」 そういってレゾも笑った。

  カーテン越しに穏やかな秋の日の光。やわらかなレゾの笑顔。
  その顔をしげしげと眺めて、少年は思った。
 
 (よかった いつものレゾだ あれはいったい…?)

  それが正午近い時刻だと気がついた途端、はっとして、言葉が少年の口をついてでてくる。

 「城に戻らなくていいの?
  夜盗に襲われることは最初からわかっていたの?
  必要な薬草はそろったの?」

  レゾは小さく息をついてから話し始めた。
  子どもの心の混乱を解いてやらないわけにはいかない。

 「あの領主は病気ではありません」
 「?」
 「呪詛の形をとった魔法です」
 「呪詛?」
 「誰かが、とてもひそかに呪っています。探知できないくらいひっそりと。命を絶つ
  ほどの力でなくても、あのままでは、領主は衰弱死をまぬがれないでしょう。」
 「…どうすれば解けるの?」
 「呪いをかけている術者を滅ぼせば、たいていの呪いは解けます。
  …解けない場合もありますけどね。
  もうひとつは呪詛返しをすること。呪いを送りつけた術者に、呪いを返すこと。
  ただしそのためには、その術者の名前を呪文に組み込むことが必要になります。」 

  レゾはそれ以上の説明をしなかった。
  少年は言われずともすぐに理解した。
  昨夜のレゾの行動は、その術者の名を知るために、わざとその者の手が彼にのびる
 ように仕向けたものだったことを。

 (辺境のこの地でも、レゾの名は知られている。少し過大に伝わっている。  
  もしかしたらレゾなら領主を目覚めさせるかもしれないと、術者はあせったに違いない)

 (−レゾの回復系の魔力は知られていても、攻撃系の力については知られていなかったようだ。
  でなければ、夜盗などを刺客によこしたりはしなかっただろうに − ) 

    そして気がついた。

 ( ! じゃぁ、ぼくのしたことは?)
 
  レゾは術者の名を聞き出すことが出来なかった。そこにいた子どものために。
 
  レゾを心配して駆けつけた自分は、レゾの目的の邪魔にしかならなかったことを思い知らされる。

 (ぼくは レゾの 弱点に なっている)
 (だから ぼくに 身内と 名のらせなかったんだ )

  足手まといにしかならなかった自身に対するふがいなさや情けなさ、悔しさがない混ぜとなり、
 胸をしめつける。なけなしのプライドが、せめてそれをレゾに気づかれまいとすればするほど、
 子どもはこみ上げてくる嗚咽を隠せなくなる。
  赤法師はそれを、子どもが昨夜の出来事を思い出したためだと解した。
 
 「怖い思いをさせてしまいましたね
  胸に溜まったものは、吐き出してしまいなさい」
 
  言われて、チビのゼルの胸のうちでふくらんでいた感情がはじけた。
  目覚めたときは傍らの大人に触れられることすら躊躇した子どもが、今はその赤い法衣の胸元に
 すがりつき、やがて声をあげて泣きはじめた。涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、しゃくりあげながら、
 ときどき「ごめんなさい」と繰り返すさまは、まるで年相応の、子どものようだった。
   「あなたを連れて行った私が悪かったんですから、謝るのはやめなさい」  子どもを慰めるつもりで大人が言った言葉が、余計、子どもにはこたえた。涙がまたあふれてくる。  実際、レゾにはチビのゼルを咎める気持ちは皆目なかったが、それがゼルには、かえって口惜しくて  ならなかった。今はただ泣くことしか出来なかった。

8 おとぎばなし

 (なんてことだろう)

 (ルナン先生の崩れかけたような家の内側の豊かさ)

 (贅を尽くした城にすむ人間たちの汚なさ) (あの美しい城の中に、呪いをかける人がいるなんて)

 (いつも穏やかな笑みをうかべるレゾの内側は?)

 (自分だけは、レゾの素顔を知っていると思っていたのに)

  少年の内のさまざまな思いが、レゾの法衣を濡らした。

  そして、ひとしきり感情を吐き出した子どもが、なんとか落ちついたのを見計らって、レゾは腰を
 あげようとした。   少年はレゾを引きとめて言った。

 「レゾは、どこでルナン先生と知り合ったの?」(今までにもこういうことがあったの?) 
 
 「…まず、食べなさい。そうしたら、話しましょう」

  レゾはルナンの家の者が部屋に届けてくれた遅い昼食を指した。
  盆の上にあったものがきれいに腹の中に収まった頃には、少年はだいぶ落ちついたようだった。
 
 「…レゾ、さっきの続き」少年の真剣な声に、赤法師は少しの間をおいて、語り始めた。

 「…昔々、あるところに、重い病気にかかった王様がいました。」
     ( ? )
 「魔法医も魔道士も誰一人としてその病気を治すことが出来ません
  しかしある日、一人の若い魔道士がやってきて王様を治しました
  感謝した王様は、その魔道士を国中の誰よりも重用しました
  それに嫉妬した大臣が、王様に言いました
  『あの魔道士なら至極簡単に、王様に一服盛れますよ』と、王様の耳に吹き込みました
  馬鹿な王様は、大臣の嘘を信じて、魔道士を牢獄にいれました
  …そこでやっと、世間知らずの魔道士は気づきました
  魔法医も魔道士も王様を治せなかったのではなく、治さなかったのだと」
     
     少年は身を硬くして聞いた。
     小さく笑って、レゾは続けた。

 「…善良な人々の嘆願は実らず、王様は魔道士を死刑にしました
  処刑の直前、魔道士は世界中の知識が詰まった魔法の本をもっていると、口にしました
  そこで王様は彼が死んだあと、本を取り上げ、中身に目を通しました
  が、本には何も書かれていませんでした
  ただ、頁には毒が塗られていて、まもなく王様は苦しみながら死にました」

 「…ウソだ。だってレゾはここにいるじゃないか」
 「 … 」
 「王様を治そうとしなかった医者ってルナン先生のこと?
  先生がレゾを助けてくれたの?」

 「昔の話です」 レゾは微笑し、それ以上答えようとしなかった。
 
 「私も少し休みます。あなたも、少し眠りなさい」
  そう言ってレゾは部屋を出て行った。

  少年は一人残された部屋で、ベットに横になった。眠るためではなかった。
  先刻、胸の中の感情が洗い流されたためか、頭は不思議と醒めているのを感じていた。
  

 (この世で生きていくために) 
 (レゾは病気を治す僧侶であると同時に、弓や剣で攻められても身を守ることができる術を
  心得た、魔道士でなければならない)
 (自分がそれに気づかなかっただけだ)
 
 (レゾの仕事が、感謝と尊敬を受けとるだけのものではないことは、
  ここに来る前に気がついていたはずなのに)  

 (自分はレゾの何を見てたんだろう 月の照らし出された側しか見ていなかった)
 (知らなかった面を見て 怯えて 立ちすくむだけ)(こんな 自分は いやだ)

  ふいに、昨夜の夜盗頭がレゾにむけて、レゾを形容して言い放った言葉が、思い出された。
   (「バ...ケ... ...ノ...!」)
    − 同時に、それを聞いた時のレゾがその口元に浮かべていた笑みも。

 (あんなレゾは知らなかった)(怖かった)

 (でも)

 (このままでは レゾに おいていかれる)(それで いいのか?)

  …

  自分の心を見定めてからの、少年の行動はすばやかった。
  

9  出立

   レゾはちびのゼルが落ちついたのを見てとってから自室に戻ると、ほどなく眠りに落ちた。
   前の晩は一睡もしていなかったレゾと入れ替わりに、何事もなかったかのように階下に降りてきた子どもは
  ルナンの家の者たちに、城で何があったのかと質問攻めにされた。
   そしてレゾは目が覚めたとき、自分が「夜盗に受けた傷がもとで床に臥している」ことを知らされて
  驚くことになる。

 …


  それから10日後の、よく晴れた冬の始まりの日。


 「いや、あの少年には驚きましたなぁ。」 (感嘆しながら ルナン)

        少年を人質に取った夜盗の頭は、ゼルがレゾの身内であることを雇い主から聞かされていたふしがあった。
        それを知っている者は、ルナンの家から遠く離れた城にはいなかったはずなのに。

        − 賊の雇い主である術者は、もともとは彼らに少年をさらわせ、レゾに城から手を引かせる予定だった
          とも考えられた  
        − ルナンの家に出入りする者については、そのほとんどを少年は把握していたので、レゾとその身内の
          者がルナンのうちに来ている事が城に伝わるルートは、いくつか推定できたが、はっきりとは確定
          しかねた 

         それで、チビのゼルは、レゾが夜盗により負傷したという話を流した。
        あとは、それが城に伝わっていくルートを検証すればよかった。くちさがないルナンの助手が、
        たいそうな役に立った。

 「だれに何を聞けばいいのか、どうするのが一番近道なのかもよくわかっている」(ルナン)

        レゾの動向が城に伝わるまでの経路と、その情報の最後の受取人である術者の名を少年がつきとめる
        まで、たいした日数を要しなかった。誰もがその子をただの子どもだと思っていたので、あっけない
        ほどの労力と時間で済んだから、逆に、レゾがその子の挙げた術者の名を信じていいのかどうか躊躇
        したほどだった。
 

               レゾは領主を覚ますことが出来た。  同時に領主の妻が昏倒した。
               魔道書の閲覧は叶えられた。  ルナンに代読を頼んだ。
        が、レゾの探していた情報はなかった。       

                 
               彼らは領主に手厚くもてなされ、城のごたごたの収拾も目にした。
        ルナンやその家の者たちにも引きとめられたが、この地に留まるのも今日が最後。

 「…私もあの子を知りませんでした」(苦笑しながら レゾ)
        
        夜盗の頭に人質にされかかり、ろくな抵抗もできず、レゾの法衣を涙でぬらした子どもが
        彼がその地へ来た目的を叶える手伝いをしてくれるとは、思いもしなかった。それも、
        自分にはできない方法で。
 
        ((まだ子どもだと思っていたのに…))
        
        レゾは 再び苦笑した。チビのゼルの涙に含まれていたものを自分が少しも理解していな
        かったことを、今ごろ悟っている自分が可笑しかった。


  すっかり葉を落とした冬木立の中で、レゾはルナンとそんな会話をした後、その地をあとにした。

  …
 

  馬車の中では、まるでそこへ来たときと同じように、赤い衣の法師のひざに男の子がその頭を
 載せて眠りこけていた。まだ日も高いのに、馬車の振動の心地よさに、それまでの疲れが誘われ
 たのだろう、赤法師が彼のローブをその身体の上に羽織ってやっても、身じろぎもしない。
  

  レゾは片方の手のひらを子どものほほから首筋へと注意深く這わせてみる。
  過日、夜盗につけられたキズが跡形もないことにほっとする。
  子どもは少しむずがったが、すぐまた寝息をたてる。


  レゾは少年の首の脈うつ処に手のひらを添わせたまま、心の中で、語るともなく少年に語りかけた。
 

  ((私の手は、このままあなたの命を絶つことなど造作もないのに))
  ((こんなに無防備に自分を預けてしまって、いいんですか?))
 
  ((あなたはルナン先生の家に留まると言い出すかと、思ったのに))
  ((このまま、私と一緒に行くつもりですか?))

  ((あなたは、魔を内包している私を見てしまったのに))

  (( …私が怖くないんですか…? ))   

            
   返ってくるのは規則正しい子どもの寝息だけ。
 
  そこが世界で一番安全な場所であるかのように、子どもはすっかり安心しきって眠っている。
  何もしゃべらずそうしているだけで、何か長い間忘れていた望みがかなえられたような、
 なつかしいような感情が、レゾの心を占めた。
  ひざの上に、幸福そのものといった表情の子どもの寝顔をのせて。

 
  少年の体温をその手のひらにおさめながら、ふと、レゾはルナンの言葉を思い出した。

  「ひょっとしたら、あの子が、あなたの探し物をみつけてくれるやもしれませんな」


               エピローグ

 
 (つよくなりたい そしてレゾのそばにいたい おいてけぼりはいや 足手まといはもっとイヤだ)

         (ないてるひまはない レゾに おいつきたい)
 
  レゾのひざで眠る子どもの心に、ときおり、そんな思いの断片が浮かび上がってくる。 
                    
              「ゼルガディスさん?」
       
       (だれ? あ 黒い髪に白い服、青い護符の女の子だ)

            「レゾさんが好きなんですね?」
          
           (そうだよ あたりまえじゃないか)
              
                「よかった」

    (それだけ言うと、女の子は消えた でもいつかまた会える そんな気がする)
                 
                  END

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