昏い月  4,5,6

4  提案
  このまま穏やかな日が続くかと思われたある日の夜のこと。

 「まだ、探し物をあきらめるつもりはないようですなぁ」(ルナン)
 「…いまさらそれはないでしょう?」(レゾ)

 (何? 何の話だろう??)

  夜半、のどの渇きで目が覚め、階上にあてがわれた自室から台所へ降りてきた少年に、居間にいる二人の
 会話が耳にはいる。秋も終わりを告げる頃、まだそこだけ明かりのともる一室を少年はそっとうかがった。

  老人は軽く嘆息した後、この地の領主がここ数ヶ月の間昏睡状態が続いていることや、領主が亡くなれば
 お家騒動で、かの家の魔道書の閲覧のチャンスはさらに失われることなどを話した。
 「つまり、領主を治すことが出来れば、報酬として魔道書を拝読できるチャンスがある、と?」
  老人はうなずき、レゾは少し考えたあと、近日中にそこへ出立する旨を告げた。

  翌日
 
  レゾは少年をルナンの家に残していくつもりだった。
  が、レゾから説明を受けた少年の口をついて出たのは、言った彼自身も予期しない言葉だった。
 「いやだ いっしょに行く 邪魔にはならないから」
  旅の空の、普段とは開放された雰囲気がそう言わせたか、ルナンの家が、彼の子どもらしさをよびだしたのか。

 (今、レゾの手を離したら、またずっと取り残されるような気がする 離れたくない)

  少年の意志に、レゾのほうが折れた。
  
  翌々日

  レゾは自室で、ルナンのうちに着いてからずっとはずしていたショルダーガードとローブをまとう。

 (こころなしか、つらそうな… どうみてもあまり嬉しくはなさそうな…)

  ちびのゼルはレゾの横で、ルナンの家の者が調達してくれた服に着替えながら−彼の服はすっかり作業着の
 ようになり果て、とても城へ着ていけるような服ではなかったので−レゾを見ていた。 
 
  レゾは、その正装に見合った態度に自分を整えようとしてか、眉間に手を当てる。
  彼の心中には、城への出向に反旗を翻す者達がいた。
  すなわち…「行きたく、ない!」とぶつぶついうチビレゾたち(!)と「いまさら何を言っている!行くんだ!
  ルナン先生はもう紹介状を送ってくれたんだぞ!」とわめいているチビレゾたち(!)がいて、双方で行く、行か
 ないの綱引きをしているかのような状態が生じていた。

  ((…いままでこんな事はなかった…))
  ((…おまけにゼルまでついて行くと言いだすなんて…こんな<わがまま>を言う子ではなかったのに))

  まるで自分もゼルもこの家の空気に当てられてしまったかのようだと、赤法師は溜息をついた。
 
  そして

  赤法師は男の子を伴って、領主の城へ向かう山道を歩いている。
  それが近道だからとレゾが言うものの、城からは迎えの馬をよこすとの返答がきていたのを、わざわざ断って
 いることを少年は知っている。
 (迷いを残したまま、城に着くわけには行かないからだ)
 レゾが自分の頭を醒ますためと、子どもにあきらめさせる時間を設けるためにそうしたであろうことは、
 その子どもには容易に察しがついた。
  領主の城が近づくにつれて、レゾの顔が曇り、やがて口を開いた。

 「…やはりあなたをつれて来るべきではありませんでした。」

 その先に続く言葉を予想して少年が落胆しかけたとき、レゾは思わぬ提案をした。

 「…ひとつ、私とゲームをしませんか?」
 「?」
 「これからゆくところでは、誰も私たちの関係を知りません。
  …あなたはあの城で、私の小間使いとしてふるまうことができますか?」
  少年は問い返した。
 「……ぼくたちが身内だと、周りの人に知られたほうが負けってこと?」
 「そうです」
  少し間を置いて少年は返した。
 「…わかりました 『レゾ様』?」
  チビのゼルの飲み込みの早さに、レゾは少しほっとした。

 5  城

  そこの景観は、石造りの城館と庭園が美しく調和し、細やかな贅が各所に施されていた。
  門扉から館の入り口までのロング・ウォークの両脇には、同じ大きさ同じ形に丸く刈りこまれたイチイが、
 等間隔の距離を保ちつつ、整然と林立している。生垣の間に延びている脇道の奥には、さらに別の趣の小庭園が
 画されているのが見え隠れする。うっかりその景色に少年が目を奪われていると、少年のすぐ前を歩く赤法師が
 立ち止まる。   子どもはその背中に軽くぶつかったところで我に返る。
 
 「………………」(レゾ)

 「 ? …!! 失礼しました!」(ゼル)
 
  主人のローブのすそを踏み、その足を止めていたことに、ようやく気がついた未熟なお付きの少年。
  耳まで朱に染まった子どもとは対照的に、その主人は表情を変えず、城の案内の者たちに先を促した。
  (…今朝の眉根にしわを寄せた顔が別人のよう)
  普段と変わらないような物静かな笑みを浮かべていても、レゾはもう、<お付きの少年>には払う関心を
 持ち合わせていない<僧侶>の顔にかわっていることに、少年は気づかされた。

  ルナンからの紹介状が先に着いていたこともあり、領主婦人やその親族たちに赤法師はうやうやしく
 迎え入れられた。 
  
 (それにしても)
 (これだけの城の領主が床についている)
  昏睡状態が続くなか、時折言葉にならない声を発して飛び起きたかと思うと、控えの者が用意してある水を
 飲み、なにかに抗するような言葉を吐きながら再び気を失うという。以前病人を診たルナンに同行していた
 助手からは、骨と皮ばかりの病人の肢体を見れば、その命は、いつ死神に刈り取られてもおかしくないのが
 わかると、聞いてはいた。が、病人の形相は必死で生にしがみついている者のように、少年には感じられた。

  そして、そこに着くまでに目にした小庭園の数々。−おそらく領主が倒れる前と、寸分たがわない姿で、
 整備されているのだろう。支配者の地位,権力にふさわしい庭として、高い塀に囲まれた空間に、少しの
 乱れもなく整然とした造形が施されている。− 館の主が死の床にあるというのに。
  少年はなにか違和感にかられる。

 (領主が床についてから数ヶ月 これは、城の者が、領主の死を予定のこととして受け入れる期間として
  十分すぎる時間なのだろうか? )

  が、明らかに城の一部の者からは、赤法師レゾは期待と望みを一身に託されてもいた。
 
  レゾは意識のない病人の身体に触れたとき、ほんの一瞬、眉をひそめた。
  少年だけはそれを見逃さなかった。
  やがて病人を一通り診た後、彼の言葉を待つ一群の者達にむかって、にっこり笑って答えた。

 「大丈夫、目覚めさせることができます」
  とたんに安堵と歓喜にも似たどよめきがひろがる。

 「しかしそのために、もういちどルナン先生の家に戻り、必要な薬草類を調達して来る必要が
  あります。まさか、ルナン先生に治せないものを私に見当がつくとは思いませんでしたから。」

  自分が浅はかだったというふうに、領主婦人たちと談笑している。
 (…あれは営業スマイル )
  この城の中で自分だけが知っているそのことを、少年は心のうちで確認してみる。

 「まぁぁ 今からルナンせんせのところに戻られるというのですか?」
  会食の席で、食後のお茶を飲みながら、領主婦人は尋ねた。
 「早いほうがいいでしょう」
 「でも、すでに日が落ちて、あたりも暗く…」
 「私には関係ありませんから」

  同席していた彼女の親族も言う。
 「そこのお召しの者に行ってこさせるわけにはいきませんか?」

 「残念ながら、この者は、まだそれほど役に立ちません」
  レゾは、後ろに控えている少年を振り返りもせずに答える。
 
 (ずきん)(…これはゲーム)

  少年は自分に言い聞かせる

6  惨劇

  少年を城に残してレゾは夜道を歩き出す。
  自分が戻るまで、決して部屋を出ないようにと少年に言い残して。


  赤法師が人里をはなれた山道にさしかかったころ、手に手に得物を持ったならず者の一団が、木々の間を
   ぬって遠巻きに法師を囲み始める。レゾは彼らに気づくふうでもなく、かまわず歩を進めて行く。
  やがて、赤法師の退路がふさがれると、彼ら−夜盗たち−の頭領らしき男がレゾの前に進み出て言った。

 「赤法師レゾだな?」

  レゾの口元に、薄く笑みがうかんだ。


  それから半時ほどまえ、少年がレゾを追って城を抜け出していた。
  星も見えない空。時折、雲間から見え隠れする儚ない月の光が頼りだった。
      
 (いやな予感がする) レゾの身が心配だった。
 (これはルール違反だ) そう思いながらも、走らずにいられなかった。

  と、行く手に炎が上がった。 
  阿鼻叫喚 断末魔の叫び 肉のこげる匂い。 
  爆炎が吹きあげる空には血のように赤い月。
 
  少年の視界に人影が映ったとき、惨劇の舞台には、主役と2人の端役を残すのみだった。
  赤法師を襲った一団は、大半が黒焦げの死体となってころがっていた。
  夜盗の頭領だった男が、腰を抜かして立てずにいる。
  もう一人の夜盗は、その男の目の前で、息も絶え絶えになりながら倒れ伏している。
  その背中を片足で押さえつけながら、赤法師が微笑んでいた。

  燃え残る炎の中に、いつにもまして、血を吸って赤く染まったような衣。
  炎の赤光が映える横顔。そこには、人の苦しみを美味そうに喰らう魔物のような笑みが浮かぶ。
 
 (レゾ…?)
 
  見てはいけないものを見たような気がして少年は木陰に立ちすくんだ。
  赤法師は少年に気づかず、静かな声で、彼の前で腰を抜かしている男に話しかける。
 
 「言いなさい 私を襲わせた者の名を 
  …それとも、あなたもこうなりたいんですか?」

  錫杖が赤法師の足の下に敷かれた夜盗の身体に食い込む
  骨のきしむ音 悲鳴 血反吐を流す犠牲者 
  魔物でなければできないような愉悦の表情を見せる質問者 
  問われた男は、驚愕でゆがんだ顔のまま、声にならない声をふりしぼる。

 「  ば...け … の!!」
 
  赤法師は軽く笑いかえし、動じる気配もない。
  いまさら自分の性(しょう)を言い当てるほうが遅いとでもいうふうに。
 
 「私にとっては山ひとつ吹き飛ばすほうがたやすいんですよ。
  あなたたちを生きたまま帰すことにくらべれば…
  力を加減しながら使うほうがよほど疲れる…」

  笑みを浮かべてレゾが語る。いつもの落ちついた声で。やわらかな口調で。
  と、物陰から自分を見つめる存在に気づく。

 「誰です、そこにいるのは?」

  レゾは息をひそめている観客に向けて”炎の矢”を放つ。
  ゼルは飛びのいたはずみで、しりもちをついて倒れる。

 「…! まさか…ゼル…?」

  一転してとまどったようなレゾの声。
 
 (やっぱりレゾだ)少年が名乗りをあげずとも、それが彼だと気がついてくれた。

  安堵したのもつかの間、立ちあがろうとした子どもは、何者かに抱え込まれた。
  さっきまで、腰をぬかしていたはずの夜盗の頭だった。

 「コイツを殺されたくなかったら、動くなぁ!」
 
  少年を盾に取った男が叫んだ次の瞬間、レゾの足もとの犠牲者が断末魔の小さな悲鳴をあげた。
  赤法師の手にした錫杖の底がその心臓を貫いていた。

 「…その子を離しなさい」

  レゾの押し殺した怒りが伝わる。夜盗は瞬時に自分の行動を後悔した。が、すでに遅かった。

 「よるなぁっ!」
 
  子どもをかかえたまま、夜盗は後ずさりをする。少年の顔の前で、夜盗が手にした得物がそれを持つ右手と
 一緒に小刻みに震える。それでも子どもの力では、自分を拘束する男の左腕をほどくことができなかった。
 
 「てめえの身内がどうなってもいいのかぁ!」
 
  夜盗はその言葉を叫び終らないうちに、レゾの発した魔法にその頭を貫かれた。
  少年は気を失った。

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