昏い月 1,2,3
プロローグ (…変な夢を見ている) ( ぼくが ぼくを −レゾのひざに頭をのせて眠っている自分を− 宙に浮かんだもう一人の自分が見下ろしている) 赤い衣の法師のひざを枕に 七,八歳の男の子が 寝息をたてている (宙に浮かんでいるもう一人のぼくのそばには、黒い髪に白い服、胸に青い護符をつけた女の子が目を輝かせている) (会ったことはないのに、なつかしい気がする 一体誰だろう?)
1 旅の空 「気がつきましたか?」 頭のすぐ上からレゾの声。そのひざを枕にしたまま、少年はぼんやりと意識をとりもどす。 そこは馬車の中。小さな窓から朝の光。少年の体はまだ眠りから覚めやらない状態。 もう少しだけ、このまま眠ったふりをしていようと、少年は思う。 (…レゾの横にすわっていたはずなのに、自分だけ眠ってたんだ…) (…どうして僕らはここにいるんだろう?) 少年の瞼の内を、ここ数日の風景がよぎる。 (…このところ、レゾを宮廷魔道士にしたいと日参する人たちがいて、レゾはその対応にうんざりしていた どこかの国の官使たちだという、彼らのしつこさとあきらめの悪さに、レゾはまいっていた) (そして、昨夜届いた手紙 それを読んだレゾの笑顔 すぐに呼びよせられた馬車 夜明けもまたずに出立 もちろんレゾは、留守役の館の使用人や助手達になにか言い含めていく) (レゾのあの笑顔は、手紙の主に会いたいというより、なんとしてもレゾを口説き落として国に 連れ帰りたいという彼らの熱心さに、肩透かしを食わせることが出来る嬉しさだったという気がする) (レゾを宮廷にひっぱり出すことが出来れば、さぞや彼らの株は上がっただろうに) (今ごろ、主人のいない館の前で、彼らは地団駄を踏んでいるはずだ) ( 「いっしょに行きますか?」 ) ( レゾの言葉に、二つ返事で従って、今、ここにいる…) (手紙はそれほど重要な内容ではないはずだ。でなければ、助手達も置いて、二人だけで 出かけられるはずがない…それとも気まぐれ?) まだ眠ったふりをしている少年の口元に笑みがもれた。 (…自分がもっと小さな頃は、レゾはぼくにも素顔は見せなかったように思う この前、旅から帰ってきたころからか、疲れた顔、ふきげんな顔も隠さないようになった) (そのほうがずっといい レゾが素顔をみせるのは ぼくだけ) (みんな営業スマイルのレゾしか知らない) レゾのひざで、また笑みがこぼれる。 (レゾはあちこちを旅している 病気の人の治療だけでなく、どこかの宮廷やエライ人のサロンなどにも 招かれたりするらしい けど、どこかの”お抱え”になることだけは拒んでいる)( 何故だろう?)
2 魔法医 馬車を乗り継ぎ、赤い衣の法師様とお付きの少年−彼らを知らない者にはそう見える−が届けられた所は 小さな村落のはずれに位置する、魔法医として名高いルナンの家。ルナンが孫娘の生まれた家に移りすむのは、 もうちょっと後の話。 (有名な医者(せんせい)で、レゾが昔、世話になったことがある人だという。 レゾと同じように旅をしてることが多かったが、居をかまえたので一度たずねてくるようにという 簡潔な手紙をくれた人) (それにしては風変わりな…いや、質素な造りの…でも、これがここらへんでは、普通なのかな?) 1階は診療所を兼ねているという2階建てのその家には、門扉はおろか門柱も、かきねすらもなかった。 どこからその家の敷地なのか区別もないほど、街道脇からその家の入り口まで、秋の野の花に彩られている。 蜂蜜色のライムストーンの家壁に庭の緑が映える。 もとは家人が庭先に植えた宿根草や多年草の草花が、数年の間に自分の好きなところに根を伸ばし、かつ 心地よい場所を見つけて咲き競っているかのような表の家まわりだった。そして風雨を和らげるための 屋敷林を背にしたその家は、一方で、どんな変人奇人が住んでいてもおかしくはなさそうな荒れ果て方を している。レゾの館が特別なのだと少年が思いなおそうとしても、どうにもみすぼらしい、色のあせたドア。 ところどころ、朽ちて緑色に染まる屋根…。 (緑色の屋根…?! あんなところまで草が生えてる…???) 「はっはっ、泥棒よけに、外側は、荒れるがままにしてあるんじゃよ」 白髪の老人が少年の心をみすかしたかのように笑った。 ルナンの言葉どおり、外観と違って家の中がマトモだったことは、少年をほっとさせた。 むしろそこは、彼が今まで見たことのあるどの家よりも、落ち着ける場所だった。 (外から見た時よりもずっと広い感じがする まるで魔法みたいに) 「君は、レゾ殿の息子かな?」 老人の問いは、少年を驚かせた。そんなことを聞かれたのは初めてだった。 (僕が?レゾの息子?そんなはずないじゃないか。レゾに悪いじゃないか。) 何が悪いんだか自分でもよくわからないまま、少年は早口で訂正する。 「ちがう!レゾは僕の先祖。でも『おじいちゃん』じゃあんまりだから、レゾって呼んでる。 レゾがそれでいいって言ったんだ。気を使わなくていいって!!」 むきになった少年の口調に、彼のレゾに対する思い入れが透けて見え、老人は微笑んだ。 「ゼル!!」 少年の答え方に、レゾのほうが赤面した。 「はっはっは、そうしていると、レゾ殿も人の子でありますな」 「…おそれいります」 途惑いながら、レゾは答えた。
3 観察者 一見すると貧相にも小さくも見えるルナンの家は、実際は多くの患者や助手、あるいは下働きの者が出入り する場所だった。また、客人が滞在することに彼らは慣れていたので、気を使われることも気を使うことも なかった。そしてレゾは、そこの主(あるじ)と治療法について話し合うこともすれば、魔法医の仕事の 代理もできる、彼の家の者にとっては願ってもない賓客だった。 ルナンの助手たちは、ちびのゼルに気安く声をかける。 「あんたんとこの先生、死人だって生き返らせるんだって?」 (からかわれている? …どうもちがうみたいだ 辺境のこの地で、レゾの名はかなり一人歩きしているようだ ) 「あぁ、おまえ、レゾ様のお身内なんだってなぁ」 口さがない助手もいる。 (…この手のタイプはしゃべるにまかせておくと、ルナン先生の台所事情から近辺諸侯のお家騒動まで なんでもぶちまけてくれる。) (だけど この人も、ルナン先生とレゾがいつ知り合ったのかは 知らなかった) これまでレゾがゼルを連れてルナン以外の他人の家を訪れたことがあったわけではない。が、レゾが 自分の館の者たちに見せている顔を思えば、彼の他の場所での在りようも、ゼルには容易に想像がつく。 それに比べると。 (他人のうちでレゾがこんなには素(す)に近い顔を見せるなんて思わなかった) ほんの少し、少年はルナンに嫉妬した。 (くやしいわけじゃない) 少年の自室にあてられた2階の小さな部屋の窓から、金木犀が芳香を漂わせていた。 ルナンの家でちびのゼルは好きにしてよいと言われていたが、遊んでいたわけではない。 時には家の裏手にある、まるで廃園のような野草園で、秋の一日を薬草探しに費やす。 ときたま、ゼルは草を掻き分ける手を止めて、思い出したように家の方を見ることがある。 一緒にいたルナンの助手は気づかないようだったが、施療室でレゾが力ある言葉を唱えたのが、 少年にはわかる。家の周りの緑がいっせいに吐息をもらし、空気が微妙に色を変えたような、 そんなふうに彼には感じられる。 (あそこには今、魔法使いのレゾがいる) 手の届かないもの、自分がほとんど手にして生まれてくることが出来なかったそれ−魔力容量−に対する 憧憬が胸をかすめ、少年は小さなため息をつく。 (本当に、こんな自分がレゾの直系なんだろうか) 彼はまだ、レゾが本当になりたかったものを知らない。 「…レゾ、9時の方向にラディッシュを残してる」 食事を終えて席を立とうとした大人を、隣に座っている子どもが制する。 (注 子どもは、皿を時計の盤に見たて、残り物の位置を数字で指し示す方法を使っている。) 言われた大人が不承不承、席に座りなおして言う。 「…気づかなかっただけです」 「昨日も同じことを言ってたじゃないか」 子どもに注意される大人。どうということのない夕飯どきの会話。 同席していたルナンの助手が、後でそれを話すともなくルナンとの会話にのせる。 「ここへ着た当初は、あの子がレゾ様の身内だと聞いても、てっきり、身の回りの世話をさせるために 引き取った養子かなにかだと思ってましたよ」 「え、いまじゃ、まあ、両方ともどっか似たもの同士の…そう、それ、<家族>ってのが一番近いかな?」 助手の言葉を聞いたこの家の主人は、感慨深げにうなずいていた。
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