おまけ

Q アメリアは<親殺し>のあと、なんでぐっすり眠れたんでしょうか?

A 良くも悪くも迷いに終止符が打てたから。でも父殺しの罪悪感を心の底に抑圧してる
  かな?いや、それは<親殺し>の代償に、女性であることを受け入れたので、チャラ
  でしょう。だから素直に、守られる立場の自分も存在することを、つまり自分の弱さを
  受け入れたので、ゼルに対して素直になれたと思う。

Q 魔法が使えなくなった精神的なリクツは
A アメリア版「魔女の宅急便」と言えるかと…。
  魔法が使えなくなるというのは、思春期の女の子のアイデンティティ・クライシス
 ( 自我の危機 これまでの無邪気な自分でいられなくなる、しかし新たな自己をどう
  組み立てたらいいのかわからない時期)を象徴しているので、面白いなあと前から
  思っていました。
   魔法のみならず、素手で戦うことも出来なくなったことは、私は「ラベル落ち」と、勝
 手に名づけてます。

  「ラべリング(レッテル張り)」は、「『犯罪者』というものが最初から存在するわけでは
 ない。私達がその人を犯罪者(予備軍)とみなすことによって、その人は犯罪者になる
 のである。」というのが元の意味だと思います。つまり、皆で誰かを「不良だ!」と 指
 さすと、さされた人はホントに不良になってしまうということ。
  が、私は、たとえば自分がまだ何者かわからない子どもが、自分の依存してる人か
 ら「何々ちゃんはまじめだね」とか言われたりすると、その言葉にそうように自分を変化
 させる、自分はそういうものなんだと規定してしまうことも、自分に対するラべリングじゃ
 ないかと 思ったりします。
  アメリアの力を引き出していたのは、「自分はとうさんと同じ」というラベルではないと。
 そのラベルが落ちてしまったので、どこから力を引き出したらいいのか、わからなくなっ
 てしまった状態。
    …  あ、しかし、こうも考えられる。
 「強い人」というのは、自分の「弱さ」を無意識の方へと追いやってしまっている人のこと。
 (もちろん「弱い人」はその逆) だからアメリアが父に否定されたと思って、心が不安定
 になったとき、普段なら無意識に隠れていた弱さ(「こわい」「負けたらどうしよう?」など
 の不安や疑問や恐怖)が、意識の中に這い出てきてしまったから…とも言える。
   いずれにせよ、「これが客観的で正しい解釈」というのはありえず、どんな解釈も
 その人の主観的なものであり、要は、自分の胸にストンと落ちればいい。

Q 「父の娘」とは?
A 彼女を読み解くキーワードだと勝手に思っています。(えらそー)
  これは、宮迫千鶴 著「母という経験」学陽書房の文庫の[小公女セーラ]についての
  章にあったフレーズで、もともと「小公女」というのは「小さい王女様」ということで、ア
  メリアもそうですよね。
     これに、アメリアに置き換えてもぴったりするフレーズがあった。
                「父の娘の少年精神」
         「お母さんのいないアメリアはお父さんから[強さ]を学んだ」
 アメリアの場合は、父親と自分との同一視が、彼女の強さの秘密ではないでしょうか。
  しかし彼女が「子供」から「娘」になるためには、「とうさん」との蜜月を終わらせなくて
 はならない。
  これは別にアメリアに限ったことではなくて、普通の父親が年頃の娘にしてやらなく
 てはならないことのひとつは、娘に嫌われることに決まっている。
  やさしくて頼れる存在から、うっとうしくて、うるさい存在にならなくちゃいけないんだ
 から大変だね。(そうでもないか。)
  その理由は、父と娘がいつまでも蜜月をすごしていられるなら、娘は家の外へ伴侶を 
 求めに行く必要がなくなるから。
  しかしアメリアのうちは、父一人子一人であるだけに絆は強固だから…
 せめてこれくらいのこと(親殺し)をやってくれなくては、相手がゼルだろうと誰だろうと恋
 愛はできないのではないか、ましてやゼルを救う(王子様の呪いを解く)なんて、できる
 わけが ない…。
 それでも、ニフの会議室に「F式」を載せる時は、果たして受け入れられるかどうか心配
 でした。幸い好評をいただき、ましてやテーマSSとして、会議室のキューピー/DIANA
 さんに物語として仕上げてもらえるとは、思ってもみませんでした。

 ( 「RETURN TO MYSELF」という題で書かれているSSも、F式と骨格は同じですが、
Fをフィーメイル(女性)という視点から書かれている素敵なSSです。)
 
      あ.それから
  「小公女」は貧しい身分に転落した少女が王子様を待ってるような話に思う向きもある
  と思いますが、これは誤解で、愛されて育った少女は想像力を武器に(アン みたい
  ですね)自分の心の誇り高さを守ろうとし、これに対して、惨めな境遇を認めて嘆き苦
  しめというミンチン女史との壮絶な心理バトルの話であると、別の書評にもありました。
         (…私は知らなかった。てっきり王子様を待つ話かと…)
  セーラに最後に救いの手が差し伸べられるのは、父の娘として生きてきた娘が自分の
  「女性性」を受容することを象徴しているそうです。
                     おわり         
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